貝原益軒(1630-1714)が83歳の時に著した健康長寿の秘訣本
「養生訓」
のご紹介をいたします。
貝原益軒とはどのような人か
と言いますと
1630(寛永7)年
福岡藩の祐筆(事務官僚)貝原寛斎の5男坊として生まれました。
名は篤信(あつのぶ)
通称は助三郎、のちに九兵衛になります。
現在では「益軒」という号で知られていますが
それは晩年になってから使われ始めたもので
若い頃は「柔斎」とか「損軒」と称していました。
彼は生まれつき
虚弱体質だったそうです。
1648(慶安元)年
18歳にして藩に出仕し始めたのですが
それから2年後の
1650(慶安3)年
藩主の黒田忠之に何か諫言をしたところ、逆鱗に触れてしまい
「閑居半月、謁見不能四か月」の処分を受け
以後7年間浪人生活を余儀なくされました。
1656(明暦2)年 27歳
2年前から家督を継いでいた3代目藩主黒田光之(忠之の子)に許され
再び藩に仕える事になります。
彼は藩の出資で7年間京都に留学させてもらい
多くの学者・知識人と交流して
1664(寛文4)年
35歳で藩に戻ってからは
学問好きの藩主光之から重用されるようになりました。
その他にも数多くの本を著述しています。
39歳の時に
17歳の江崎初(雅号・東軒)と結婚。
夫婦仲は睦まじく
二人は仲良く連れ立って
あちこちへと旅行して回りました。
ところが ───
愛妻・東軒は
益軒以上の虚弱体質だったのです……。
そんな事もあってか
益軒は薬の事や健康法をあれこれと研究し
実践を積み重ねていきました。
1699(元禄12)年
70歳で勤めを退いた益軒は
以後、著述に専念する傍ら
研究のために藩内のあちこちをフィールドワークして回ります。
1713(正徳3)年
84歳の時に「養生訓」を出版します。(書いたのは前年83歳の時)
しかしその同じ年に
最愛の妻・東軒は
亡くなってしまいました……。(享年62)
その精神的ショックが響いたのでしょうか……
益軒は彼女の後を追うかのように
翌1714(正徳4)年
85歳でこの世を去りました。
越し方は
一夜(ひとよ)ばかりの心地して
八十路(やそじ)あまりの
夢をみしかな
(貝原益軒辞世の歌)
後年、幕末に来日したドイツ人医師シーボルトは彼のことを
「日本のアリストテレス」
と評したそうです ───
「養生訓」の執筆時に益軒の心にあったのは
愛妻の健康問題に関する不安だったのではないかと言われています。
虚弱体質に生れつきながらも
83歳まで目もハッキリ見え、虫歯の一本もない健康体を誇っていた益軒は
自分より22歳も若いのに
病に臥せりがちとなってしまった妻に
「どうか、どうか、健康で長生きしておくれ」
と、切実な思いを抱いていたのかもしれません……。
「養生訓」の内容
巻第一・二「総論」上下
養生することの大切さや心得的な事
巻第三・四「飲食」上下
健康になるための食事法および酒・茶・煙草・色欲について
巻第五「五官」
健康であるために日常生活上で注意すべきこと
巻第六「病を慎む」
病にならないための季節上の注意・医者について
巻第七「用薬」 薬について
巻第八「養老」
老人の健康法、幼児の育て方、鍼と灸
「養生訓」は、この全八巻からなっています。
実の所
益軒さんの時代と現代とでは、かなりの時代の隔たりがありますので
現代人の感覚からすると
「ん?」
と、違和感をおぼえてしまうような部分も随所にありました。(^^;)
(たとえば、現代では普通に食べられているような食品に関して「これは体に悪い」と言い切ってしまっていたり)
でも
江戸時代の野菜と現代の野菜とでは 、品種改良されたりして、ほぼ別物みたいになっている事でしょうし
暮らしを取り巻く衛生環境も、300年もの間にガラリと変化していますから
その辺の所は仕方が無いかもしれません。
とはいうものの
さすがは江戸時代以来のロングセラーだけあって
「養生訓」には
現在にも十分通用する養生の知恵がたくさん紹介されていました。
飲食(のみくう)ものにむかへば、むさぼりの心すすみて、多きにすぐる事をおぼえざるは、つねの人のならひ也。
酒食茶湯、ともによきほどと思ふよりも、ひかえて七八分にて猶も不足と思ふ時、早くやむべし。
飲食して後には必(かならず)十分にみつるもの也。
食する時十分と思へば、必(かならず)あきみちて分に過(すぎ)て病となる。
飲食物に向かうと、食べたい欲求が増して、食べ過ぎに気が付かなくなるのが人というものである。
酒、食、茶、湯など、適量だと感じるよりもひかえめに、七、八分くらいにとどめて置き、ちょっと物足りないと思うくらいにやめておいた方が良い。
飲食した後になってから必ず腹いっぱいになってくるから。
食べているときに十分だと思うくらい食べてしまうと、後から必ず満腹し過ぎる事になり、病気になってしまう。
(巻第三の16)
常に居る室も常に用(もちう)る器も、かざりなく質朴にして、けがれなく、いさぎよかるべし。
居室は風寒をふせぎ、身をおくに安からしむべし。
器は用をかなへて、事かけざれば事たりぬ。
華美を好めばくせとなり、おごりむさぼりの心おこりて、心を苦しめ、事多くなる。
養生の道に害あり。
いつもいる部屋もいつも使う家具も、飾り気なく質素で清潔なものが良い。
居室は寒い風を防いで、安らげるようにしておこう。
家具は不足なく用が足せるものであれば充分。
華美を好むとそれがクセになり、奢りだとか貪欲な気持ちが起こって、心を苦しめる事が多くなる。
つまり、養生の道に害をなすことになるのである。
(巻第五の5)
薬をのまずして、おのづからいゆる病多し。
是をしらで、みだりに薬を用て、薬にあてられて病をまし、食をさまたげ、久しくいゑ(え)ずして、死にいたるも亦多し。
薬を用る事つつしむべし。
薬を飲まずに、自然と治癒する病気は多いものだ。
このことを知らないで、やたらと薬を使い、病状を悪化させ、食欲を減退させ、長患いさせた挙句に死に至らせてしまう事も多い。
薬を使う事には慎重にならなくてはいけない。
(巻第七の6)
「食事は腹八分目」
「贅沢ばかりを好むようになるとロクなことにならない」
「やたらと薬に頼るのはむしろ害」
このあたり
遠い昔の人の言葉とは思えないくらい
現代でも充分通用するアドバイスですよね。
私が特に深く感じる所があったのは
「総論」のところにある
健康長寿のための心のありようを説いた部分でした。
凡(すべて)の事十分によからんことを求むれば、わが心のわづらひとなりて楽(たのしみ)なし。
禍(わざわい)も是よりおこる。
又、人の我に十分よからん事を求めて、人のたらざるをいかりとがむれば、心のわづらひとなる。
又、日用の飲食、衣服、器物、家居(いえい)、草木の品々も、皆美をこのむべからず。
いささかよければ事たりぬ。
十分によからん事を好むべからず。
是(これ)皆、わが気を養なふ工夫なり。
全てにおいて最上であることを求めると、心の負担となり、楽しくなくなってしまう。
厄介事もこうした心持ちから起こるものだ。
また、他人が自分にしてくれることに対し最上である事を求め、他人の足りないことを怒り咎めだてすると、心は苦痛になってしまう。
日常の飲食、衣服、器物、住居、草木などの物も皆、良い物美しい物ばかりを好んではいけない。
少しだけ良ければ事足りる。
完璧に良い事を好んではいけない。
これも皆、おのれの気を養うための工夫である。
(巻第二の36)
完璧主義は心が疲れる……。
何事もほどほどに。
自分が「楽しい」と感じられる位の心のゆとりや
多少のいい加減さを持っておくことも
幸せに長命を保つためには大切。
確かに、そうかも知れないなあ……と納得させられるものがありました。
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