TODAWARABLOG

戸田蕨です。小説書いてます。よろしくお願いします。

吉川英治「鳴門秘帖」について〜お十夜孫兵衛の着物が「縮緬ぞッき」って一体どういう事!?

上下黒ぞっきの着流しに

顔を覆ったお十夜頭巾

チャラリチャラリと雪駄で歩く

剣の達人にして女好きの辻斬り浪人

お十夜孫兵衛 ────

 

f:id:TODAWARA:20201128135630j:plain

 

吉川英治出世作

鳴門秘帖

に出て来るダークヒーロー

お十夜孫兵衛ですが

 

彼の服装の描写でよく出てくる

「黒ぞっき」

とか

縮緬ぞッき」

という言葉。

 

この「ぞっき」の意味が

私には長い事のままでした。

 

f:id:TODAWARA:20201129094312j:plain


 手持ちの「角川国語辞典」には

「ぞっき本(殺本)」という言葉が掲載されてあります。

意味は俗語で

「特別の安値で投げ売りされる新本」。

 

ネット上を調べて見ましても

「ぞっき」という言葉に関しては

「ぞっき本」くらいしか出て来ませんでした。

 

意味は、やはり

古書市場で非常な低価格で売られている新品本」

となっており

 

その際に使われている「ぞっき」

「ひとくくり」「ひとまとめ」

という意味である──というものしか見つかりませんでした。

 

──って事は

「黒ぞっき」「縮緬ぞッきは」

ひとくくりにまとめられて

投げ売りされているような安い着物?

 

うーーーーーん。

遊び人のお十夜孫兵衛のファッションとしては

なんだかちょっと違和感あるなあ…………。

 

f:id:TODAWARA:20201129095603j:plain

 

そんな風に、モヤモヤしていたのですが

先日

 繊維業界皮革業界で働いている方々のブログに

業界内で使われている

「ゾッキ」

という言葉について説明されているのを発見しまして

 

このたび、ようやく長年の謎が

スッキリ解明したのでした。

 

f:id:TODAWARA:20201129083053j:plain

 

それによりますと

「ゾッキ」とは「総生」と書き

単一の素材・生地という意味なんだそうです。

 

この言葉の由来は北関東の方言説が有力で

北関東の織物産地ではかつて「シルク100%」の事を「絹ぞっき」と言ったりしていたそうです。

 

鳴門秘帖」で使われている「ぞっき」

お十夜孫兵衛の着物に関してなので

おそらくこちらの「ぞっき」で間違い無いでしょう。

 

してみると

 

「黒ぞっき」

「全身黒ずくめ」

縮緬ぞっき」

「着物も羽織も全て縮緬

という事だったんですね!!

 

f:id:TODAWARA:20201128092133j:plain

全身縮緬コーディネートのお十夜孫兵衛、結構オシャレでダンディですね。

 

大正15(1926)年8月11日から大阪毎日新聞で連載がスタートし

超絶的大ヒット作となった

鳴門秘帖

 

京の公家衆と結託し、密かに幕府転覆を企む

阿波徳島藩蜂須賀重喜(はちすかしげよし)及び、そちらに組する者達(悪玉)

 

その証拠を掴み、それを暴こうとする

幕府隠密側に組する人々(善玉)

 

謀反の証拠となる秘密のメモ(秘帖)争奪をめぐって

追いつ追われつしながら死闘を繰り広げる物語に

 

登場人物それぞれのだとか

生き別れの肉親の話だとか

誘拐事件だとかの話が色々と絡んでくるという

 

スケールの大きな

ハラハラドキドキ満載の

伝奇浪漫小説です。

 

f:id:TODAWARA:20201127100602j:plain

 

主人公にあたる人物は

おきゃんでチャーミングな女スリ

見返りお綱 ────

 

と、私は思っているのですが

 

f:id:TODAWARA:20201201105836j:plain

 

ドラマや映画では

彼女が惚れてしまい、行動を共にする

 

虚無僧姿の美剣士

法月弦之丞(のりづきげんのじょう)だとされる事が多いみたいですねえ。

 

鳴門秘帖 DVDBOX

鳴門秘帖 DVDBOX

  • 発売日: 2018/09/21
  • メディア: DVD
 

 

鳴門秘帖 FYK-164-ON [DVD]

鳴門秘帖 FYK-164-ON [DVD]

  • 発売日: 2012/02/19
  • メディア: DVD
 

 

それら主役級の美男美女達が魅力的なのは

もちろんなのですが

 

鳴門秘帖においては悪役たち

殊に

裏ヒーロー裏の主人公ともいえる

お十夜孫兵衛のキャラクターなどは

 

物語に魅力を添えている

大きな要素

なんじゃないかな、と私は思っています。

 

f:id:TODAWARA:20201129145858j:plain

 

非情で冷酷な悪役であるにもかかわらず

惚れたお綱には手玉に取られ

 

天童一角旅川周馬などといった悪役仲間と共に

お綱&弦之丞を追う旅の道中などは

 ほとんど

ズッコケ三人衆

としか言いようのないほどの

コミカルさを見せてくれる彼。

 

そんな二枚目半の彼に対しては

 

正統派二枚目である法月弦之丞よりも

こっちの方がタイプだわ♡

と感じる女性読者が

意外と多いんじゃないかと思います。

 

彼は何故か常時お十夜頭巾を被っていて

何があっても、お風呂に入る時にも

絶対に取らないという設定なのですが

 

そんなミステリアスな部分などが

時に

笑えるツッコミ所になってしまう所なども

なんか、イイですよね。

 

f:id:TODAWARA:20201127101219j:plain

 

この物語はそして

出て来る女性陣

大変に魅力的だったりもするんですよ。

 

主人公の女スリお綱

非常にしたたかチャッカリした美女なのですが

 

そんな彼女が法月源之丞に恋してしまってから見せる

意外なほどの不器用さ純情さには

 思わず 

「か……可愛い……!」(*T∀T*)

と、キューンとなってしまいます。

(ギャップ萌えってやつですね)

 

 またそれとは逆に

清純派として登場してきた堅気の女性たちが

突如として

暗黒面を表出させる場面などもあって

 

その凄艶さにゾクゾクしてしまいます。

 

特に私が大好きなのは

過酷な運命に翻弄され続けていた、大店のお嬢様お米

一転

悪女に変貌する瞬間なのですが

 

ここは何度読んでも痺れてしまうほどの名場面だと思います!

 

f:id:TODAWARA:20201128143156j:plain

「───あばよ」

 

吉川英治のエッセイ

「僕の歴史小説観」「小説のタネ」という項に

「『鳴門秘帖』のころ」という文があり

そこに、この小説の制作秘話が書かれているのですが

 

それによると

 

吉川英治鳴門秘帖を書かせたのは

当時、毎日新聞の学芸部長をしていた阿部真之介だったそうです。

 

新聞社から伝言の人がやって来た時

まだ33、4歳の駆け出し作家だった吉川英治

「とてもそんな大新聞に。自分になんかには大任過ぎます」

と、真っ正直にかしこまって断ったのですが

 

その時、ちょうど吉川家に遊びに来ていた

友人の伊上凡骨(かなり年上の木版彫刻師、やや奇人)が隣の部屋で昼寝をしながらそれを聞いていて

 

社の人が帰った後

「断るやつがあるもんか、絶好のチャンスだよ、書けよ、書けよ」

とさかんにけしかけたので、書くことにしたんだそうです。

 

この作品で吉川英治は一躍

スター作家となり

生活も経済状態もその後の人生も、一変してしまったわけですから

凡骨さんの存在は大きかったですよねぇ……。

まさに持つべきものは友!ですね。

 

 

f:id:TODAWARA:20201130113559j:plain

凡骨さんの型破りなお人柄は、吉川英治の随筆「僕の三畳」にて活写されています。(^^)

 

タイトルの「秘帖」「帖」の字にも、吉川英治はこだわりがあったのですが

 

大阪毎日新聞の千葉亀雄からは

「『帳』の間違いだろう」

と指摘され

「いや『帖』で良いんです」

と言うと

「イヤ『帳』の方が正しい」

と粘られたりして、ひと悶着があったらしいです。

 

(今となってみれば、やっぱり「秘というよりは、「秘の方がカッコ良いような気がしますけどねぇ)

 

 

f:id:TODAWARA:20201128092824j:plain

公儀隠密・甲賀世阿弥(秘帖を書いた人)が十数年間幽閉され続けている岩屋牢は徳島の最高峰・剣山にあるという設定です。


 吉川英治

鳴門秘帖」の着想

 

江戸中期の洋画家

司馬江漢(1747-1818)

「春波楼筆記」という随筆に書かれている出来事から得た、と語っています。

 

その内容は以下のようなものです──

 

-----------------

 

ある年、司馬江漢が熱海に温泉に入りに行ったところ、宿屋の裏に大名の湯御所がありました。

 

早朝、目を覚ます頃になると、塀を隔てたその屋敷の方からビシッビシッと弓を射る音がします。

──どうやら、さかんに弓の朝稽古をしているようです。

 

それがやんだと思うと、

今度は、音吐朗々と経書(儒学の書)を読む声が聞こえて来ました。

 

「一体、隣はどなたのお屋敷なんだい?」

江漢が宿の主人に訊いてみると

阿波徳島の藩主、蜂須賀重喜(しげよし)様のお屋敷でございます」

 

それを聞いて江漢は

「はて?」

と首を傾げてしまいました。

 

当時、世間の噂では

蜂須賀重喜公は阿波本国で非常な暴政を行なったため、幕府に怒られ蟄居を命ぜられている──と言われていたのです。

 

もし隣で弓の早朝稽古に励んだり、経書を読んだりしているのがそのお方だとしたら

ずいぶん「暴君」というイメージとは違い過ぎるじゃないか??

──ふーむ、世にはおかしな事もあるもんだなあ……。

 

-----------------

 

司馬江漢の随筆にはこのように書かれているのですが

 

幕府から「藩主失格」との烙印を押され

政治から引退させられていた

蜂須賀重喜

 

彼は本当に暴君だったのでしょうか?

それとも

実は名君だったのでしょうか?────

 

f:id:TODAWARA:20201128093816j:plain

 

蜂須賀重喜(1738-1801)

出羽秋田新田藩主・佐竹義道の4男坊

17歳の時、阿波徳島藩の蜂須賀家に養子として迎えられました。

 

1755年 

10代目の藩主となって領国に入ると

倹約や藩体制の変革など、改革に豪腕を振るいます。

 

しかし

 

1769年

「藩政よろしからず」として幕府から蟄居を命じられ

長男の喜昭(後に治昭に改名)に家督を譲らされてしまいました。

 

このとき重喜はまだ

32歳の若さ……。

 

どうやら彼が進める改革に対し

藩内ではそうとう、重臣達の反発があったようです。

それのみならず

幕府方の人達やら、誰やら彼やらと利害がぶつかったりして、結構敵も多かったみたいです。

 

せっかく成し遂げた改革も

幕府から「全部元に戻せ」と命じられてしまいました。

 

f:id:TODAWARA:20201130173115j:plain

 

隠居後の1788年

徳島郊外の大谷屋敷で贅沢三昧の生活をしている事を幕府から咎められた重喜は

 

あわや江戸屋敷に蟄居させられそうになったのですが

徳島城下の富田屋敷に引き移り、なんとかそれを免れます。

 

そして以後は質素に暮らし

1801年 64歳で亡くなりました。

 

 

f:id:TODAWARA:20201127152110j:plain

 

鳴門秘帖には 

 

剣山、鳴門海峡阿波踊りなど

徳島の地を舞台とした非常に絵になる、印象的なシーンが数多く描かれてます。

 

城下の辻は夜もすがらの笛だ、太鼓だ!踊ってる!踊ってる!踊ってる!

かれが韋駄天と飛んでゆく先、走ってゆく先の町には、必ず幾組もの男女が仮装して、囃子とともに踊りの渦を巻いている。

 

海峡の渦潮と阿波踊りの熱狂とが二重写しになって

 眩暈のするような祭りの陶酔感

そして

追いかける者の疾走感、焦燥感が鮮やかに表現された

 

百年近くたっても全く色あせる事の無い

名文だと思います。

 

 

f:id:TODAWARA:20201130142101j:plain

 

 

 

 

鳴門秘帖 全6巻合本版

鳴門秘帖 全6巻合本版

 

 

 関連記事のご案内

 

 

 吉川英治のもの凄さ

todawara.hatenablog.com

 

 吉川英治の詩歌のご紹介

todawara.hatenablog.com

 

「松のや露八」について

todawara.hatenablog.com

 

 吉川英治のデビュー作「剣難女難」について

todawara.hatenablog.com

 

 

 「江戸三国志」について

todawara.hatenablog.com

 

 

 

 

 こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

 

f:id:TODAWARA:20201113143954j:plain

 

台風スウェル

台風スウェル

 

f:id:TODAWARA:20201113144049j:plain

 

 

f:id:TODAWARA:20201113144128j:plain