ドリフターズが大好き!って言いますと
日本においては、ほぼほぼ
加藤ちゃんケンちゃん、いかりやチョーさんの
「ドリフターズ」(8時だよ全員集合!)だと思われてしまうのですが
私がここで「大好きだ」と言っているのは
アメリカのR&Bグループの
THE DRIFTER'S(ザ・ドリフターズ)
のこと。
「ラスト・ダンスは私に」の邦題で知られる
「Save the Last Dance for Me」
とか
「This Magic Moment」
とか
有名な曲がいっぱいあって
栄光のR&Bグループ
とまで言われるほどの存在なのに
日本での知名度は
ど~もイマイチ低いんですよねえ……。
(あっちの「ドリフ」が人気あり過ぎて、その名前に隠れてしまっているというか……)
名曲「Save the Last Dance for Me」(ラスト・ダンスは私に)
このグループ
メンバーの入れ替わりが尋常でないほど多過ぎたり……
「ザ・ドリフターズ」と名乗りだすグループが
関係者の間で何組も生まれてしまっていたり……
レコーディングしたメンバーと
ツアーしてまわってるメンバーが
まったく別人だったり……
かなりシッチャカメッチャなカオス状態でしたので
そんな所なんかも
日本における認知度の低さに
かなり影響を及ぼしてしまっているかも知れません……。(-"-;)
だって
グループの顔というべきリードボーカルですら
取っ代えひっ代え、コロコロと目まぐるしく変わっちゃうんですからねえ……。
── というわけで
このグループの成り立ちや有りようなどは
あまりに複雑すぎて
到底きちんとは説明できそうもないのですが
以下にその一端を、なるべく簡単にご紹介しようと思います。
そもそもの始まりは1953年
ビリー・ワード&ザ・ドミノス
というグループでリードボーカルを務めていた
クライド・マックファターが
昔馴染みの友人達と結成した
クライド・マックファター&ザ・ドリフターズが
初代ザ・ドリフターズの始まりです。
その時のメンバーは
リードボーカルのクライド・マックファター以外に
ウィリアム・"チック"・アンダーソン
デビッド・"リトルデイヴ"・ボーグハン
デビッド・ボールドウィン
ジェームス・"リンクル"・ジョンソン
という面々。
1953年6月にニューヨークで
「Gone」「Lucille」の2曲を録音したのですが
アトランティック・レコードの社長がこのメンバー構成にダメ出しをしたため
マックファターは別のメンバーを集めることになりました……(T_T)
新生クライド・マックファター&ザ・ドリフターズは
メンバーをガラリと一変させ
クライド・マックファター以下
ビリー・ピンクニー
アンドリュー・スラッシャー
ガーハット・スラッシャー
ウィリー・ファービー
ウォルター・アダムス
というメンバーで1953年9月
アトランティック・レコードからデビューシングル
「Money Honey」(B面は初期メンバーで録音した「Lucille」)
を発売しました。
これがたちまち
R&Bチャートの1位となり
グループ最初のメジャーヒット曲となります。\(^o^)/
やがてチョコチョコとメンバーチェンジをしながら
「Such A Night」(1953年11月)
「Honey Love」(1954年6月)
「Bip Bam」(同年10月)
「White Christmas」(同年11月)
「What'cha Gonna Do」(1955年2月)
など、さらにヒット曲を連発していくのですが
そうこうするうちに
初代リードボーカルのクライド・マックファターは
軍隊に召集され、グループを離脱する事となりました……。
代わってリードボーカルを務めたのは
デヴィット・ボーガン
彼は
「No Sweet Loving」(1955年)
「Honey Bee」(1955年)
の2曲を吹き込むものの
離脱してしまいます。
その後
1955年9月〜57年3月にリードボーカルを務めたのが
ジョニー・ムーア
この時点でのメンバーは
ジョニー・ムーア
ガーハット・スラッシャー
ビリー・ピンクニー
チャーリー・ヒューズ
という顔ぶれになっておりました。
その後
ビリー・ピンクニーが抜けてトミー・エバンスが入り
新人のボビー・ヘンドリックスに代わった……
──かと思ったら……
またまた
ビリー・ピンクニーがメンバーに復帰してきたりなんかして……
1957~58年あたりは
メンバーの入れ代わり立ち代わりがあまりに激し過ぎて
ちょっと説明しきれないくらいカオスな感じになっています。
そんなグチャグチャをくり返していくうちに人気が低迷していき
1958年
マネージャーのジョージ・トレッドウェルは
ついにグループ全員を
解雇してしまいました。
……ところが
グループのメンバー達にはそれぞれ
「自分達こそが本当の
ザ・ドリフターズだ!」
という強い思いがありましたので
その後
「ドリフターズ」を名乗る
複数の分派グループが出来る事態になってしまいました……。(^^;)
これらのグループは現在
「ビル・ピンクニーのオリジナル・ドリフターズ」
とか
「チャーリー・トーマスのドリフターズ」
などとクレジット表記されることで、本流との識別をされています。
一方、マネージャーのジョージ・トレッドウェルは
ニューヨークで活動していた
ファイブ・クラウンズというグループを雇って
彼らを
と改名してデビューさせました。
1959年の事でした。
それにしても
どうしてこのグループは
こんなにメンバーチェンジが激しいのか
と言いますと
初代リードボーカルのクライド・マックファターがグループを抜けた際(1955年)
彼はその権利の多くをマネージャーのトレッドウェルに売却していたために
ザ・ドリフターズのメンバー達は
トレッドウェルに雇われた
低賃金のミュージシャン
という位置づけになってしまっていたのです。
そのため、待遇面への不満が絶えず噴出し
人気と名声の割には
離脱するメンバーが後を絶たない……という状態になっていました。
さて
ジョージ・トレッドウェルが
「ザ・ドリフターズ」
と改名してアトランティック・レコードからデビューさせた
旧ザ・ファイブ・クラウンズ
メンバーは
ベン・E・キング
そして
チャールズ・トーマス
ドック・グリーン
エルスブリー・ホッブス
という面々。
ベン・E・キングといえば
今では
名画「スタンド・バイ・三―」の主題歌になっている
こちらの歌(「STAND BY ME」)で非常に良く知られている
大歌手ですよね!
彼をリードボーカルとした新生の
ベン・E・キング&ザ・ドリフターズは
1959年春
デビューシングルの
「There Goes My Baby/Oh My Love」
を大ヒットさせ
たちまち人気グループになりました。
そしてドリフターズはこれより
輝かしい黄金時代を迎えることとなります。
「Dance with Me」(1959年)
「This Magic Moment」(1960年)
「Save the Last Dance for Me」(1960年)
「I Count The Tears」(1960年)
などの名曲を連発した後に
ベン・E・キングは離脱していきました。
(その後、彼はソロで活躍)
新生ドリフターズになっても
メンバーチェンジが頻繁に繰り返されるのは相変わらずで
ベン・E・キング以後、しばしば変わっています。
ベン・E・キング以外の
主なリードボーカルは
「(If You Cry)True Love, True Love」(1959年)
を歌った
ジョニー・リー・ウィリアムズ
「Some Kind of Wonderful」(1960年)
「Up on the Roof」(1962年)
「On Broadway」(1963年)
を歌っているのは
ルディ・ルイス
そして
「Under the Boardwalk」(1962年)
「Saturday night at the movies」(1964年)
「I've got sand in my shoes」(1965年)
の時のリードボーカルは
なんと
ジョニー・ムーアです。
その後1972年になると
ザ・ドリフターズは、長年所属していたアトランティックレコードを離れ
舞台をイギリスに変えて活躍します。
ザ・ドリフターズには
1950年代の
クライド・マックファター周辺による
「初期・ドリフターズ」
1960年代にかけての
ベン・E・キング等による
「第二期・ドリフターズ」
1970年代初頭の
イギリスで活躍した脱アトランティックレコード時代の
「第三期・ドリフターズ」
と
3つの「輝ける時代」
がありました。
彼らの曲は、もう、ほんと
名曲ばっかりなんですけど
その中で
私が猛烈に好きなのは
2期目、60年代のザ・ドリフターズによる
「Saturday night at the movies」
超意訳ですが
歌詞を和訳してみると、こんな感じでしょうか。(^_^)
週末の夜8時
どこに行くかって?
可愛いあの子を連れて
映画を観に行くのさ
そこいら中のみんなも
めいっぱい素敵に着飾ってさ
いつもみたいに思いっきり
楽しんじゃうのさ
土曜日の映画の夜
何を観るか?
そんなの知ったこっちゃないね
バルコニーであの子を抱きしめちゃうのさ
古き良き頃のアメリカの
キラキラと幸福感にあふれた雰囲気に
どこか懐かしさを感じさせられる……
その上
お茶目で
可愛らしくって
も~~~
胸が締め付けられるほど
大っ好きな一曲です!☆
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