ようやく秋らしい涼風が吹き始めてきました。
今回は
「ザ・秋!」
という感じの短編小説を書いてみました。
MOON LIGHT
SERENADE
-月影小夜曲-
月影仄かな青い夜。
繁華街の喧騒から遠く離れた川沿いの小道に、くすんだ煉瓦造りの建物が並んでいる。
通称「ガス灯通り」──その昔、このあたりで初めてガスの明かりが点ったところである。
今は電球に変わった街路灯が、暗い川面に橙色の明かりを揺らめかせている。
★
二階にあるバーの窓から、舗道の柳や街路灯を見下ろしながら、かつてモダンボーイ、モダンガールを誇っていた老人たちが、思い思いにグラスを傾けていた。
「ここは、いつまでも変わらんねえ」
グレーのチョッキを着た絵描きのタイジさんがカウンター席でしみじみと呟くと、隣で八百屋のゲンさんが相槌を打つ。
「ここは五十年前のまんまだよ。このカウンターも、マスターも、窓から見える橋のあたりも」
琥珀色の明かりの中、彼らはふと、古びた硝子窓に目を向ける。
彼らの視線の先では、藍色の夜に抱かれながら、川をまたいだ石造りのアーチ橋が人気もなくひっそりと佇んでいた。
★
石橋の上で、透明な秋風がつむじを巻いている。
会社帰り風の青年と娘は、橋のたもとまで来たところで、ふと、歩みを止めた。
「…………不思議だな」
ぼんやりとした顔で青年が呟くと、その横で娘が怪訝そうに白い首を傾げた。
「どうしたんですか?」
再び歩き出した青年は、
「ここでいつか、君と二人で、こんな風に星を見上げていた事があったような気がするんです」
そう言いながら欄干に寄りかかると、瞳を藍色の夜空に彷徨わせた。
案の定。
娘は困ったような笑顔を浮かべ、呆れたように肩をすくめている。
「なに言ってるんですか。私たち、今日会ったばっかりじゃないですか」
サァッと空気を掠めながら、二人の横を車が通り過ぎていく。
川辺に伸びた柳の枝が、風にさらさら揺れている。
「そうやって、いつも新入りの派遣社員を口説いてるんですね?」
「ち、ちがうって。僕はただね…………」
あたふたと慌て始めた青年を見つめながら、娘は白い手で口元を抑え、ふふふふふ……と笑い出した。
★
「あの橋のあたり、昔はよく野良猫たちが逢引きしていたものよねえ」
カウンターに頬杖をつきながら、葡萄色のカーディガンを羽織った老婦人──マドンナ格のサユリさんが、思い出すような瞳で言うと、マスターを始め、そこにいた老人たちは
「そうそう」
「そうだったねえ」
と相槌を打った。
くぐもるような音で流れ始めた曲は「I'm Getting Sentimental Over You(センチになって)」。
年季の入ったレコード盤はボツボツと雑音だらけである。
けれど、それに文句をつけるものなど、ここには誰もいない。
「昔は野良猫だらけだったよなあ」
タイジさんが言うと、ゲンさんが苦笑いをした。
「春になるとニャーゴニャーゴうるさくってよ」
「今はずいぶん静かになったねえ」
三つ揃えで洒落こんでいる洋品店のトクゾウさんが、水割りグラス片手に、
「いつ頃からか……もう、二、三十年ぐらいにはなるかね、あいつらもパッタリ見なくなったねえ」
首を傾げると
タイジさんは、
「猫の世界にも流行ってもんがあるんだろう。この街はノラ猫どもにとっても時代遅れっていう訳さ」
そう言って肩をすくめた。
老人たちのほろ苦い笑いが、琥珀色の店内に漂う。
シャカシャカシャカ……
シェーカーを振りながら、マスターが苦笑した。
「時代遅れ……。そう、だからもう、ここも店じまいってわけさ」
一同の驚いたような目が、彼に集中した。
ここ数年間に進められている再開発の波は、昔ながらの街並を、モダンで合理的で無機質な未来都市へと塗り変えていく。
「おれもいい加減、歳だしね。そろそろ隠居して遊んで暮らす事にするよ」
マスターがそう言いながらグラスにマティーニを注ぐのを見つめながら、ゲンさんは低く呟いた。
「……寂しいねえ」
ふつっ……と会話が途切れる。
老人たちはそれぞれの過去に思いを馳せた。
★
この街が活気に溢れていた時代。
色とりどりの紙吹雪が舞う中、大通りで行われた映画スター達の大パレードには、誰もが仕事を途中で放っぽり出して、飛んで見に行ったものだ。
ダンスパーティーは毎晩どこかしらで開かれていたし、このガス灯通りでも、大道芸人たちのジャグリングや軽業に、人だまりがいくつも出来ていたのだ。
何時の頃からか、百貨店が、映画館が、一つまた一つと消えていき、人々の足は遠のいて、通りを駆け抜けるものは、ただ、落ち葉と風ばかりになっていた。
★
「おや」
ゲンさんが外を見ながら呟いた。
「今夜は珍しく、猫が二匹来てるじゃぁないか」
かなり酔っているらしい彼の背中を、タイジさんが呆れながら叩く。
「ゲンちゃん、ありゃぁ人間の若い衆だよ。猫じゃぁない」
一同の間にさざ波のような笑いが広がった。
「ゲンちゃんたら、ボケがきちゃってんじゃないの?」
「いやだねェ」
★
藍色の空に、ぽっかり浮かぶ白く月。
欄干に肘を乗せながら、青年と娘は先ほどから、あれやこれやと他愛のないおしゃべりを交わし合い、互いの心を急接近させていた。
「本当なんだよ。この場所も君も、何だか不思議と懐かしいんだ」
ふと、青年は月を見上げる。
同じように月を見上げながら、娘はうっとりとした瞳で頷いた。
「私もそんな気がしてきたわ……。あなたといると、橋も川も月も星も、なぜだかみんな懐かしい……」
川面に魚がポチャンと跳ねた。
石橋の上に落ちている二人の影には、
ピンと立った三角耳と長い尻尾が付いていた……。
おわり
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