TODAWARABLOG

戸田蕨です。小説書いてます。よろしくお願いします。

"ロボット"という言葉はここから生まれた!〜カレル・チャペック「ロボット」の感想とご紹介。

今回は

チェコ(旧チェコスロバキア)の作家

カレル・チャペック(1890-1938)

1920年に出版した戯曲

「ロボット」

のご紹介をいたします。

 

f:id:TODAWARA:20220225150201j:plain

 

この戯曲は1920年

日本でいうところの大正9年に出版され

1921年に初演されています。

 

f:id:TODAWARA:20220227082233j:plain

1920(大正9)年

と言いますと

 

5月には日本で最初のメーデーが開催され

12月には日本社会主義同盟が結成された年でもあります。

 

オーストリア・ハンガリー帝国の貴族支配から独立したばかりの

新興国チェコスロバキアでも

ロシア革命の影響もあって

労働者と富裕層の対立が深刻化していました ───

 

 

物語の内容をざっくり説明しますと

以下のようになります。

(※ラストまでのネタバレは無し)

 

--------

 

天才学者である二人のロッスム(伯父と甥)が熱心に研究・実験・開発をした結果

 

ついに、人間そっくりの人造人間を作り出す技術が確立された!

 

彼ら人造人間(ロボット)たちは

知性は備えているものの

魂は持たない

 

完璧な労働者である ───

 

 

f:id:TODAWARA:20220223092822p:plain

 

やがて

この革新的な技術を用いて

 

とある島の工場で

ロボットが大量生産されはじめた。

 

会社名は

ロッスムのユニバーサル・ロボット社

略称 R・U・R(エル・ウー・エル)

 

f:id:TODAWARA:20220225094840j:plain

 

社長は

理想に燃えるエネルギッシュな男

ハリー・ドミン

 

f:id:TODAWARA:20220225085618j:plain

 

「十年もしないうちにロッスムのユニバーサル・ロボットが、小麦でも、布地でも、何でもうんと作り出すので、そう、物には値段がなくなるのです。

そのときは誰でも必要なだけ取りなさいということになります。

貧困もなくなります。

そうです、仕事もなくなります。

でもその後ではもう労働というものがなくなるのです。

何もかも生きた機械がやってくれます。

人間は好きなことだけをするのです。

自分を完成させるためにのみ生きるのです」

 

ロボットは全ヨーロッパ中に輸出され

労働者として重宝に使われている。

 

f:id:TODAWARA:20220226181150j:plain

 

そこに会長の令嬢ヘレナ・グローリーが訪れてきた。

 

「人道連盟」のメンバーである彼女は、連盟を代表して

 

ロボットたちの人権を

もっと尊重しなければならないと訴えはじめた。

 

「ロボットたちを人を扱うように……扱うようにするべきです」

(中略)

「なぜ……なぜ……なんでもっと幸福にしてあげられないの?」

 

f:id:TODAWARA:20220225091422j:plain

 

この時点でのロボットたちは

彼女が説く権利意識など全く考えもしていない。

 

なぜなら

 

彼らには心というものが無く

さらには

痛みを感じるような感覚も全く持っていないから ───

 

f:id:TODAWARA:20220223092701j:plain

痛みを持たないロボットたちは、時に、自分自身を壊してしまう事さえある。

 

ヘレナはR・U・R社の生理研究部部長ガル博士

ロボットたちの性能を、よりアップさせるよう頼み込んだ。

 

社長のドミンや他の重役たち同様

彼女に恋をしていた彼は

それにこたえ

 

ロボットたちの性能をあげ

彼らにを持たせたのだった ───

 

「私は自分の責任でそれをしたのです」

(中略)

「実験として、自分のためにやったのだよ」

 

 

 

f:id:TODAWARA:20220225091713p:plain

 

10年後───

 

ヘレナはドミンの妻になっていた。

 

面倒な仕事はすべてロボットに任せるようになったこの時代

どういうわけか

人類には子供が生まれないようになってしまった。

 

やがて

 

世界中に輸出されたロボットたちが一斉に人間に反旗を翻し

人間たちを殺戮し始めた……。

 

f:id:TODAWARA:20220223091926j:plain

 

--------

 

「辛い労働から人々を解放させたい!」

「人権は誰にでも平等にあるべきだ!」

「実現できる可能性の、より高い所を目指したい!」

 

ドミンやヘレナやガル博士

各々が考えている正義

大変立派な

まごうかたない正義です。

 

それなのに

 

彼らのその想いは

人類を破滅へと導いてしまうんです……。

 

ものごと

というのは

狭い視点から見た善悪ではなく

一歩ひいた所から大局的に俯瞰し長い目で見てみないと

 

それが果たして

 

良い結果に繋がるのか

悪い結果に繋がるのか

 

簡単にはわからない、って所がありますよね……。

 

f:id:TODAWARA:20220227122748j:plain

 

これは100年も昔に書かれた物語ですが

 

いろんな分野の仕事が次々とAI(人工知能)に任されつつある今日となっては

 

いかにも

近い将来に起こったとしても、おかしくない話であるような気がします。

 

f:id:TODAWARA:20220225145723j:plain

 

この物語

 

日本に入って来た1923(大正12)年の訳では

「人造人間」

というタイトルが付けられていました。

 

本書に出て来る「ロボット」

今日、その言葉から連想される機械的なイメージよりは

切れば血が出る

といった感じの

生々しい、よりバイオ的な存在なので

 

現代人の感覚からすると

「ロボット」と言うよりは

「人造人間」の方が、イメージに近いような気がします。

 

f:id:TODAWARA:20220227125035j:plain

 

この作品の原題は

チェコ語で会社名

「 ロッスムのユニバーサル・ロボット」

をあらわす

Rossumovi univerzální roboti」(略称R・U・R)

です。

 

ストーリーを思いついた時

作者のカレル・チャペック

 

「この人工の労働者のネーミングはどうしようかな?」

 

と、絵を描いている最中の兄ヨゼフ・チャペック(画家)に相談した所

 

「じゃあ、ロボットにしたら?」

 

と提案されたところから決められたんだそうです。

 

(カレルとヨゼフの兄弟は「チャペック兄弟」としてコンビで活躍をしていました)

 

 

ロボットというのは

チェコの言葉で

賦役(ぶえき)」──農民のような特定階級の人々に課せられた労働──をあらわす

「robota」(ロボタ)

という言葉があるのですが

 

そこから、最後に付いている「a」を取ったものだそうです。

 

f:id:TODAWARA:20220225145842j:plain

 

ところで

 

私は今、カレル・チャペック趣味の園芸について書いている

「園芸家12カ月」

というエッセイを読んでいるのですが

 

「ロボット」の世界とはガラリと趣を変えた

人を喰ったようなユーモラスな文章と

兄ヨゼフの可愛らしいイラストに、ほっこりさせられています。(#^^#)

 

(こちらもおススメ!)

 

f:id:TODAWARA:20220227160530j:plain

ヨゼフのイラスト……「園芸家12カ月」から

 


文筆に、舞台芸術

二人三脚で大活躍していたチャペック兄弟ですが

 

作品上で、ナチズムやヒトラーを風刺した事があったことなどから

ナチスには酷く憎まれてしまっていたようです。

 

1939年3月 ドイツがプラハを占領した時

 

ゲシュタポはチャペック邸に乗り込み

カレルを逮捕しようと意気込んでいたのですが

 

彼はすでにその前年に

庭の手入れ中にひいた風邪を悪化させ

肺炎で死亡していたのでした……(享年48歳)

 

────という事で

カレルには空振りを喰らわされたのですが

 

ヨゼフの方は捕まってしまい

 

アンネ・フランクらも送り込まれたベルゲン=べルゼンの強制収容所に入れられて

 

解放直前の1945年4月

命を落としてしまった……ということです……。(T_T)

 

 

f:id:TODAWARA:20220227163229j:plain

 

 

 

 

 

その他の記事のご紹介(戯曲)

 

 

ゴーリキーどん底」について

todawara.hatenablog.com

 

モリエールドン・ジュアン」ダイジェスト

todawara.hatenablog.com

 

鶴屋南北東海道四谷怪談」について

todawara.hatenablog.com

 

 

 

こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

 

f:id:TODAWARA:20220120111315j:plain

 

f:id:TODAWARA:20220120111335j:plain

 

 

f:id:TODAWARA:20220120111352j:plain

 

玄関そなえつけの下駄箱は湿気すぎて靴の保管には向いていない。むしろ「靴の墓場」じゃないかとすら思う。

しばらく履かずに

玄関の下駄箱の中にしまっておいた靴を

「久しぶりに履いてみようかな ♫」

と思って、出してみたところが

 

f:id:TODAWARA:20220217104503j:plain

 

「ぎゃー、なんだこりゃ!?」

 

f:id:TODAWARA:20220217105535j:plain

 

カビだらけ〜(T_T)

 

f:id:TODAWARA:20220218075120j:plain

 

─── なんて経験をお持ちの方は

非常に多いのではないかと思います。

 

 

こうならないためにも

 

「玄関の下駄箱は、扉をこまめに開けて換気をし、きちんと消毒の上、常に綺麗に掃除しておくべし!」

 

というご意見は

大変ごもっともではあるのですが

 

しかしですね

 

私はそもそも

 

玄関の下駄箱という場所は

靴の保管にはこれ以上ないほど不適格なのではないか。

 

と思っているんですよ。

 

f:id:TODAWARA:20220217104615j:plain

 

靴の素材としてよく使われている

皮革とか合成皮革というものは

 

本来

非常に湿気に弱い

という性質を持っています。

(皮革は湿気を吸う、合成皮革は湿気により加水分解を起こし劣化してしまう)

 

 

しかるに

玄関という場所は

 

雨の中びしょ濡れで帰って来て

レインコートや傘から滴り落ちる水で、床がビッチャビチャ……

 

みたいな事態が

日常茶飯事的に発生するところなんですよね……。

 

f:id:TODAWARA:20220218074723j:plain

 

しかも防犯上

 

「ドアを開けっぱなしにして換気を良くする」

 

なんてことも、ちょっとしづらい

ときている……。

 

f:id:TODAWARA:20220218081815j:plain

 

そんなところですから

玄関っていうのはどうしても

 

湿気がこもりやすい場所ってことになってしまうんです。

 

その上

そなえつけの下駄箱というのは

 

通気性ゼロの密閉空間

 

だもんで

 

そんな所に

湿気耐性に激弱合皮の靴を入れてしまった日にゃー

 

もう~~~

 

「カビを生やすな」

って言う方が無理!

ってもんなんじゃないでしょうか。

 

 

f:id:TODAWARA:20220218091912j:plain

 

Wikipediaによりますと

 

下駄箱

日本においては

 

明治時代以後に普及した民具だそうです。

 

これ

 

人々が下駄草履を履いていた時代なら

まだ良かったんでしょうね~……

 

 

f:id:TODAWARA:20220218131535j:plain

 

下駄や草履だったら

皮や合皮で出来ているわけでもないし

 

それ自体

かなり通気性が良いですからねえ。

 

f:id:TODAWARA:20220218073328j:plain

 

でも

 

靴はNGでしょー。

 

f:id:TODAWARA:20220218073357j:plain

 


家の中でも靴を履く

欧米では

 

みなさん一体どのようにしているのかと言いますと

 

そもそも

 

玄関に

作りつけのシューズボックス

なんてものは無く

 

当面履かないような靴は

クローゼットなどにしまっておくか

 

f:id:TODAWARA:20220217091823p:plain

 

こういう

 

ラックのようなものに

置いたり掛けたりしているようです。

 

f:id:TODAWARA:20220217105136j:plain

 

ともあれ

 

冬には寒くて結露が発生し

夏は夏で高温多湿

という我がニッポンにおいて

 

玄関という

家中で二番目に湿気やすい場所に

(一番は浴室)

 

密閉式の下駄箱

というのは

 

どう考えたって

靴の保管には向いていないだろう

言わざるを得ません。

 

これぞまさに

 

靴の流刑地

靴の墓場!

 

ここに収納された靴は

よっぽどマメに換気や掃除をしないことには

カビ不可避!

 

なので

 

大事な靴は

絶対にしまっちゃダメ!

 

 

そして

 

下駄箱を作っているメーカーさんには

 

玄関つくり付けの下駄箱にはせめて

 

扉をルーバーにして通気性を持たせるとか……

換気窓のようなものを付けるとか……

 

靴をより良いコンディションで収納しておけるように

 

現状よりも、なにかもう一工夫を

お願いしたいと思います。<(_ _)>

 

f:id:TODAWARA:20220218073748j:plain

 

 

 

 

関連記事のご案内

 

 

加水分解した靴は突然崩壊するから注意!

todawara.hatenablog.com

 

100均とかで買ったスリッパは裏がすぐにボロボロになる。

todawara.hatenablog.com

 

 

こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

f:id:TODAWARA:20220120111315j:plain

 

f:id:TODAWARA:20220120111335j:plain

 

 

f:id:TODAWARA:20220120111352j:plain

 

紛らわしいヤシ!〜「ビロウ」と「ビンロウ」の違いについて。

「椰子の木」

と一口に申しましても

 

その種類には

ココヤシとかナツメヤシとかトックリヤシとか

さまざまなものがあるのですが

 

中でも

非常に紛らわしく間違えやすいのが

ビロウ

ビンロウ

 

この二つなのではないかと思います。

 

f:id:TODAWARA:20220212101021j:plain

 

ということで

今回は

 

大変に紛らわしい二種類の椰子の木

「ビロウ(蒲葵)」

「ビンロウ(檳榔)」

違いについてご説明いたします。

 

f:id:TODAWARA:20220213175121j:plain

 

《ビロウ(蒲葵、枇榔)》

 

この木は

ヤシ属ヤシ科ビロウ属に属し

 

東アジアの亜熱帯の海岸付近に自生しています。

その北限は九州地方

一番多く自生しているのは琉球諸島

 

沖縄では

「クバ」

という名で親しまれています。

 

f:id:TODAWARA:20220213124250j:plain


葉っぱの形は

手のひら状をしており

 

葉先が細かく裂けて垂れ下がる、というのが大きな特徴です。

 

f:id:TODAWARA:20220212143448j:plain

 

f:id:TODAWARA:20220212084339j:plain

 

ビロウのこの葉っぱ

大変にお役立ちの優れもの

 

食べ物を包んだり

乾燥させたものを編んで

カゴや笠や団扇にしたり

 

屋根などの建材に使われたりもしています。

 

また

ビロウの木の芯は食べる事もできるんですよ。

なんでも、タケノコのような感じだとか。

 

沖縄ではビロウ(クバ)の木には

神様が宿るといわれており

 

聖なる植物とされています。

 

f:id:TODAWARA:20220214093013j:plain

 

このビロウ

 

日本では古代

あじまさ(あぢまさ)」

と呼ばれていました。

 

漢字が伝来してきた時

 

中国で「檳榔(ビンロウ)」と呼ばれている植物が

「意味合いとしては、あじまに近いんじゃない?」

と思いこんだ日本人は

 

これに中国語の

「檳榔(ビンロウ)

という漢字&音をあててしまいました。

 

やがて

本物の「ビンロウ」の存在を知った日本人は

あじまビンロウは全然違う植物だった!」

ということをさとったのですが

 

これまでずっと(平安時代ごろまで)

「檳榔」と書かれ

「ビンロウ」と呼ばれてきた植物が

 

はたして

「ビロウ(あじまさ)」のことなのか

それとも

「(本当の)ビンロウ」のことなのか

 

どっちを言ってるんだかわかんない!

という事態が生じてしまったのです。

f:id:TODAWARA:20220214151308j:plain

そのため

 

ビロウはやがて

「蒲葵(ホキ)とか

「枇榔(ビロウ)

と書きあらわされるようになりました。

 

これにて一件落着。

 

f:id:TODAWARA:20220213124209j:plain


さて

一方の

 

《ビンロウ(檳榔)》

 

こちらは

ヤシ属ヤシ科ビンロウ属に属しています。

 

分布している所は

アジア太平洋地域および東アフリカの一部

 

寒さに弱いため、日本の本土では育つことができません。

 

幹がスラッと真っすぐで細く

葉っぱは、鳥の羽のような形をしています。

 

f:id:TODAWARA:20220214113310j:plain

 

f:id:TODAWARA:20220212085123j:plain

 

柔らかい新芽は食用に

幹は建材などにも用いられています。

 

しかし

 

何といっても

有名なのがその種子

檳榔子(ビンロウジ)

です。

 

f:id:TODAWARA:20220212085619j:plain

 

ビンロウの種子は

東南アジアの広い地域で

噛みタバコのような使われ方をしています。

(英語では「Betal nuts ベテルナッツ」と呼ばれています)

 

カットしたビンロウの実石灰を塗り付けたものを

キンマという植物の葉でくるみ

 

ポイッと口に入れ

ガムのように噛み噛みします。

 

f:id:TODAWARA:20220213122043j:plain

f:id:TODAWARA:20220213123219j:plain

キンマ(コショウ科コショウ属)



そのお味はといいますと

 

苦くて渋くて

かなりマズいそうです……。

 

やがて

口の中に真っ赤な唾液がダダ〜ッと溜まってきて

 

しばらくすると

気分がハイになり

酔っぱらったような感じになってきます。

 

 

f:id:TODAWARA:20220213124841j:plain

 

 

噛み残った繊維質のものはペッと吐き出すのですが

 

唾液がとにかく真っ赤になりますので

地面に吐かれた唾の跡

まるで血痕のようだとか……。

 

(※国によっては地面にビンロウの唾を吐くと罰せられてしまうそうですよ!)

 

 

f:id:TODAWARA:20220213135133p:plain

 

なんだそりゃ~……

ヤバそう~。

絶対体に悪いでしょ~……

 

って思いますよね……。

 

f:id:TODAWARA:20220214133803j:plain

 

はい。

 

体に悪いです!

 

依存性があるばかりではなく

発ガン性まであるそうです。(^^;)

 

f:id:TODAWARA:20220212085645j:plain

 

いや~~~

それにしても

 

同じヤシの実と言っても

こういうの( )とは、ずいぶんと違うもんですねえ……。

 

f:id:TODAWARA:20220214135448j:plain

 

「ヤシの実のジュース飲む?」

って言われて

ビンロウのジュースなんか出された日にゃ~……

 

ちょっと、どーしよ、って感じですよねえ……。

 

f:id:TODAWARA:20220214155227j:plain

さて

 

そんなビンロウビロウを含んだ
ヤシの木の花言葉

 

「勝利」

だそうですよ!

 

いかにも

降り注ぐ太陽燦々!

ってイメージですね。(^_^)

 

f:id:TODAWARA:20220213133444j:plain

 

 

 

関連記事のご案内

 

 

タンメンとタンタンメンとワンタンメンの違いについて。

todawara.hatenablog.com

 

ビーフシチューとハヤシライスとビーフストロガノフの違いについて。

todawara.hatenablog.com

 

「おざなり」と「なおざり」の違いについて。

todawara.hatenablog.com

 

「オプチミスト」と「オポチュニスト」の違いについて。

todawara.hatenablog.com

 

 

 

こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

 

f:id:TODAWARA:20220120111315j:plain

 

f:id:TODAWARA:20220120111335j:plain

 

f:id:TODAWARA:20220120111352j:plain

 

湘南のお薦めスポット!「熊澤酒造」のご紹介

先日、以前から気になっていた

茅ケ崎の造り酒屋

「熊澤酒造」さんに行ってきました。

 

「いい所だよ~」

とは噂に聞いていたんですけど

予想以上に

すっっごく素敵な所でした!

 

f:id:TODAWARA:20220205082027j:plain

 

玄関口となるのは

東海道線茅ヶ崎駅

 

ホームに降り立ったところで迎えてくれるのは

駅メロ

サザンオールスターズ

希望の轍」!

 


www.youtube.com

 

くーっ!

いかにも茅ケ崎!って感じで

気分が盛り上がります。

 

f:id:TODAWARA:20220205183341j:plain

 

この茅ヶ崎駅でホームを移り

お次は

相模線に乗り換えます。

 

相模線といえば

 

ユーミン「天気雨」という歌の中で

 

サーファーの男の子に片思いをしている女の子が

茅ケ崎まで相模線に揺られながら彼に会いに行く

っていう

 

知る人ぞ知る

胸キュン電車!

(先ほどはサザン、今度はユーミン)

 

しかしながら、この電車

 

首都圏の住宅地を走っている路線にしては

いささか本数が少ないんですよねぇ……。(^^;)

 

なので

ダイヤは事前に調べて行った方が良いですよ!

(昼間は1時間に2~3本しかありません)

 

f:id:TODAWARA:20220205082923j:plain

 

「熊澤酒造」の下車駅は

茅ケ崎から2駅目の

「香川」という駅です。

駅前にある道を線路沿いに橋本方面に向かって歩き

踏切を渡ってひたすら真っすぐ進んで行きます。

 

のどかな住宅地が広がる中

 

ものの10分も歩かない位で看板が見えてきますので、そこを曲がるとすぐに現地到着です。

 

f:id:TODAWARA:20220205103805j:plain

これが看板

 

酒造工場のある敷地の中に

レトロな建物の雰囲気を存分に生かした、おしゃれなカフェイタリアンレストラン和食レストランベーカリー雑貨屋などなどがあって

 

お酒好きな人はもちろん

お酒を飲まない人にも充分たのしめるスポットになっています ♪

 

f:id:TODAWARA:20220205082101j:plain

 

下の写真は雑貨屋さんの入口です。

 

倉庫を改修して作られたこのお店は、かなり大きくて

湘南地域で活躍されている作家さんの手作りのアクセサリーや小物がいろいろ売られています。

見ているだけでもかなり楽しいですよ。

 

二階には昔懐かしいアンティークな古道具などが置かれてありました。

 

f:id:TODAWARA:20220205082131j:plain

 

こちらのカフェの建物の地下は、お酒の直売所になっています。

ここで作られている色んな種類の日本酒やビールがたくさん並んでいます。

 

この建物の中にはベーカリーもあって、美味しそうなパンや、こちらで作られたソーセージなども売られていました。

 

f:id:TODAWARA:20220205082215j:plain

 

敷地の中は、木や自然の香りがいっぱい。

なんだか、軽井沢あたりに来たような気分です。

 

f:id:TODAWARA:20220205082349j:plain

 

暖かい季節には

戸外でまったりするのも気持ち良いでしょうねえ……。

 

f:id:TODAWARA:20220205082409j:plain

 

夜になって枝のライトが点灯したら、また違う雰囲気になりそう。

 

f:id:TODAWARA:20220205082429j:plain

 

この日は、お昼ご飯を敷地内にある

蔵元料理「天青」さんでいただきました。

 

大正時代の酒蔵を改装したというシックなお店。

 

お料理は繊細な日本料理で

どれもこれもとっても美味しかったです!

 

f:id:TODAWARA:20220205082509j:plain

 

そして、蔵元ならではのお楽しみ……。

 

こちらで造られている四種類のお酒を飲み比べできるセットです。

 

美味しい料理と美味しいお酒で、至福のひととき。(#^^#)

 

f:id:TODAWARA:20220205082618j:plain

 

熊澤酒造

 

〒253-0082
神奈川県茅ヶ崎市香川7-10-7

 

蔵元料理 天青

<ランチ>
11:30~15:00(最終入店 14:00)

<ディナー>
17:30~22:00(最終入店 20:00)

定休日 第3火曜日(祝日除く)

電話 0467-52-6115

 

モキチトラットリア(イタリアン)

《平日》

Lunch:11:30~15:00(L.O.14:30)/ Dinner:休業

《土日祝》

11:30~16:00(L.O.15:00)/17:00~21:00(L.O.20:00)

定休日 火曜

電話 0467-52-6111

 

モキチカフェ

営業時間 10:00~17:30

定休日 第3火曜日
※8・12月は休まず営業いたします

電話 0467-50-0202

 

mokichi baker&sweets+wurst(パン屋)

営業時間 10:00〜17:30
※売り切れ次第終了

電話 0467-52-6144

 

okeba gallery&shop(雑貨店)

営業時間 11:00〜17:00
※営業時間につきましては、予告なく変更になる場合がございます。

定休日 第3火曜日(8月・12月を除く)

電話 0467-50-0252

 

 

※2022年2月6日の情報です。

 

 

こちらはさすがに大人気スポットのようで

私が行ったのは平日だったにもかかわらず

広い駐車場が、お客さんの車でかなり埋まっていました。

(週末は特に、電車で行った方が良いかも)

 

 

この日はその後

東海道線藤沢で降りて

江ノ電に乗り、鎌倉までのんびり行ってきました。

 

こんな風に

江の島や鎌倉とセットにしてスケジュールを組んでみても、きっと楽しい1日になると思いますよ!

 

f:id:TODAWARA:20220205083101j:plain

 

 

 

 

関連記事のご案内

 

 

三浦半島・湘南のお勧めドライブルート

todawara.hatenablog.com

 

三浦の名物「松輪のサバ」のご紹介

todawara.hatenablog.com

 

 

こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

 

f:id:TODAWARA:20220120111315j:plain

 

f:id:TODAWARA:20220120111335j:plain

 

 

f:id:TODAWARA:20220120111352j:plain

 

バルザック「谷間の百合」の感想とご紹介~恋のお相手は何故か人妻ばかり……。

今回はフランスの文豪

オノレ・ド・バルザック(1790-1850)

の長編小説

谷間の百合」(1835年)

のご紹介をいたします。

 

f:id:TODAWARA:20220126131756j:plain

 

「近代リアリズム(写実主義)小説の傑作!」

と謳われております本作

 

私が読んでみた感想といたしましては

 

冒頭から98%位のところまで、大筋としては

ロマンス小説

 

ところが

 

最後の最後

あと残り2%というところで

強烈に

「リアリズムきたー!!」

って感じでした。

 

f:id:TODAWARA:20220129140149j:plain


「なんのこっちゃ」

とお思いの方もおられるかと思いますので

 

以下に

あらすじをご紹介いたします。

f:id:TODAWARA:20220126133319j:plain

フランス語の「vallée」は日本語で想像する「谷」というよりは、ゆるやかな丘に取り巻かれた、太陽の降りそそぐ川の流域だそうです。

 

あらすじ (※ネタバレあり!)----------

 

(この小説は、主人公のフェリックスが、新しく出来た恋人のナタリー

「自分の若き日の思い出深い恋愛経験を、長い手記という形で告白している」

───という形式になっています。)

 

 

両親から愛情を掛けられずに育った貴族の子・フェリックスは、二十歳になったある夜の舞踏会で

はるか年上の人妻・モルソフ伯爵夫人に一目惚れしてしまいます。

 

やがて二人はお知り合いとなるのですが

 

病弱な二人の子供の療育と、偏屈でねじけた性格の夫・モルソフ伯爵モラハラとに苦しんでいたモルソフ夫人は

 

その苦労を理解し、同情し、共に苦労を分かち合ってくれるフェリックスに対して

特別な感情を抱くようになり

 

やがて

 

同志的とも言えるその感情は

少しずつ愛情へと変化していきます。

 

しかし

 

貞淑な良き妻、心正しき良き母である彼女は

自分が抱いている恋愛感情を

母性もしくは、が弟を思う肉親愛のようなもの」

というようにカモフラージュして

 

フェリックスに対して

あからさまにするようなことは決して無いのです。

 

ゆえに

 

二人の恋は

フェリックスがやり切れなく思うほどに清く

あくまでもプラトニックなものでした。

 

数年が経ち

大人っぽく成長したフェリックスは

 

モルソフ伯爵一家と過ごしたクロシュグールドの地を離れ

パリに出て行き

王様のために働くことになりました。

 

出発前にモルソフ夫人が懇々と教授してくれた、諸々の処世術のお蔭もあってか

彼は中央政界で順調に出世をしていきます。

 

やがて、華麗に社交界デビューを果すフェリックス。

 

そこで彼は

百戦錬磨の恋の狩人と名高い、イギリス人のダドレー夫人と恋に落ち

派手に浮名を流すことになりました。

 

その噂を聞いて

モルソフ夫人はショックを受けてしまいます。

 

彼女はジェラシーの余り、著しく体調を崩し

やがて死んでしまいました……。

 

「ぼくの最愛の人はモルソフ夫人だったのに……」

 

フェリックスは激しい悲しみに襲われ、ダドレー夫人と別れます。

 

それから数年後

 

フェリックスは、このような過去の恋愛経験を

新しく出来た恋人ナタリー

長い手記にしたためて読ませました。

 

はたして

恋人ナタリー・ド・マネヴィル伯爵夫人の反応は───

 

「は?だから何?

過去の女の事なんかくどくど話さないでいいわよ。

もういいわ、私たちは良いお友達』でいましょうね!」(超意訳)

 

───というものでありました……。

      

----------《完》---------

 

f:id:TODAWARA:20220127145751j:plain

 

この

ナタリーの反応

まさにリアリズム!!

 

最後の最後で

強烈なうっちゃりをかまされた気分です。

f:id:TODAWARA:20220129135759j:plain



それも

こーーーんなに長くて重厚な

長編小説で!!(T∀T)

 

こういうのって

短編小説ではよくありますけど

えんえんとあの長ーい恋愛話を読まされた挙句の

この落ちですよ!

 

やるな、バルザック!!

 

f:id:TODAWARA:20220128194751j:plain

 

リアリズムといえば……

 

モルソフ夫人の旦那さん

モルソフ伯爵

どうしょうもないモラハラ気質な性格の描写が

 

微に入り細にわたって描きこんである点なども

非常にリアルだと感じたところでした。

 

もしかしてバルザックの周囲に

こんな感じの人が実在していて

嫌な目にあわされたりしていたのかな?

 

なんて思うほどリアルでした。

 

 

f:id:TODAWARA:20220126132811p:plain

 

情緒不安定幼稚

ワガママ極まりないモルソフ伯爵

 

たしかに

非常に困った人ではあるのですが

 

彼が妻のモルソフ夫人にイラだってしまう気持ち

 

な~んとなくわからないでもありません……。

 

モルソフ夫人って

あまりにも全てにおいて完璧

 

家庭の采配から事業の運営まで

あまりにも優秀で

ヤリ手過ぎるんですよ……。

 

伯爵としては

劣等感を感じる事もあるだろうし

 

「妻に支配されてる」

 

みたいなところを感じざるを得ないのではないかと……。

(実際、この家の実権を握ってるのは夫人の方ですし)

 

そんなモルソフ伯爵

 

妻に対し恋心を抱いているからこそ、自分に近づいて来、親切にしてくれるフェリックスの事を

なぜかほとんど疑う事なく頼り切っているんですが

 

いくらモラハラのクズとはいえ

なんだか気の毒になってしまいました。 (-_-;)

 

とはいえ

彼はフェリックスに対しても、思いっきりモラハラしまくってるんですけれど……。

(おあいこか)

 

f:id:TODAWARA:20220126132544j:plain

 

それにしても

この時代のフランス上流階級の人々って

 

婚外恋愛に関して

一体、どういう感覚だったんでしょうね……?

 

フェリックスが恋する相手は

 

モルソフ夫人

ダドレー夫人

マネヴィル夫人(ナタリー)

なぜか人妻ばかりなんですが

 

作者のバルザック自身

 

ベルニー夫人(モルソフ夫人のモデル、23歳の時に45歳の夫人と恋に落ちる)

ダブランテス夫人(文壇デビュー後に知り合う、帝政時代の知識を授けられる)

オランプ・ペリシエ(高級娼婦)

カストリ夫人(英国王家の血を引く超一流の貴婦人、喧嘩別れする)

ハンスカ夫人(最終的にバルザックと結婚する人)

マリア・デュ・フレネー(人妻ながらに、バルザックの子を産む)

カロー夫人(妹の友人で良き忠告者、お互いにほんのり想い合う仲)

ヴィスコンチ夫人(伯爵夫人)

 

───と

 

ほんとんど人妻とばっかり恋愛をしてるんですよ……。

(アンタ、人妻にしか興味ないんかい!?)

 

 

ちなみに

 

バルザックの面影と言えば

ボブっぽい髪型で髭を生やした太っちょでいかついオジサンというのが良く知られていますが

 

f:id:TODAWARA:20220129090130j:plain

 

20代ごろのバルザック肖像画で見ると

純粋そうなキラキラな瞳をした、可愛らしい青年でした。

(そんな所が人妻キラー?)

 

 

f:id:TODAWARA:20220126132410p:plain



この谷間の百合

時代背景は

19世紀前半王政復古の頃なのですが

 

この時代のフランスって

ゴチャゴチャしてて、ものすごくわかりづらいですよね……。

 

この王政復古前後の流れ

できるだけ簡単にまとめてみますと、以下のようになります。

 

f:id:TODAWARA:20220129094259j:plain

 

18世紀の終わりごろ

フランス革命が起こって、ブルボン朝の王ルイ16世が処刑されます。

その後

1792年–1804年

第一共和政 が敷かれますが

色々のすったもんだの挙句ナポレオンが登場してきて

1804年–1814年

ナポレオンによる第一帝政となります。

 

f:id:TODAWARA:20220129094400p:plain

 

その後

 

ヨーロッパ諸国が結成した第六次対仏大同盟がナポレオンを破って第一帝政が終わり

 

1814年 

ルイ16世の後継者・ルイ18世による

王政が復活したんですが

1815年 

ナポレオン瞬間的に政権を奪取して

百日天下と呼ばれます

(その間は王家は一時、亡命に追い込まれていました)

 

しかし

ナポレオンはイギリスとの間に起こったワーテルローの会戦で敗れてセントヘレナ島に流されてしまい

再びルイ18世王政となりました。

 

谷間の百合

ちょうどこの辺あたりの話となっています。

 

f:id:TODAWARA:20220129095804j:plain

 

この復古王政

1830年まで続き

七月革命の民衆蜂起にて終了するのですが

 

バルザックによると

この王政復古時代は

「それは寒々とした、けち臭い、詩に欠けた時代であった」

とのこと。(^^;)

 

ちなみにその頃、日本は

江戸時代後期の文化文政期……町人文化が花盛りでした。

 

f:id:TODAWARA:20220129102452j:plain

 

その後フランスは

 

オルレアン家ルイ・フィリップを国王とした七月王政(1830ー1848)の後に

二月革命(1848)→第二共和政(1848ー1852)ときて

ナポレオン三世第二帝政(1852ー1870)

そして

第三共和政(1870ー1940)と続き

やがて

ナチス侵攻によるヴィシー傀儡政権(1940ー1944)

 

そして第二次世界大戦

シャルル・ド・ゴールによる臨時政府(1944ー1946)を経て

 

第四共和政(1946ー1958)→第五共和政(1958ー)

 

という流れを経て現代に至っています。

 

ふ~、ややこしいですね……。(^^;)

 

 

 

f:id:TODAWARA:20220129143949j:plain



 

関連記事のご案内

 

 

リアリズムの傑作・フローベールボヴァリー夫人

todawara.hatenablog.com

 

ロマンチックな(?)恋愛小説アベ・プレヴォー「マノン・レスコー

todawara.hatenablog.com

 

モーパッサンの名作短編「脂肪の塊」

todawara.hatenablog.com

 



こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

f:id:TODAWARA:20220120111315j:plain

 

f:id:TODAWARA:20220120111335j:plain

 

 

f:id:TODAWARA:20220120111352j:plain



 

 

 

 

 



 

ウールコートなのにビックリするほど軽い!イタリア製圧縮ウール「ラナコッタ」。

先日、鎌倉に行った折

とある洋品店の店先に飾られていたウールコート

「驚くほどの軽さ!」

とポップが付けられていたので、手に取ってみましたところ

本当にものすごく軽かったのでビックリしてしまいました。

 

f:id:TODAWARA:20220124081457j:plain

 

ウールコートといえば

「暖かいけれども重たい」

というのが当たり前だとばかり思っていましたので

 

なんだか

魔法の新素材でも見ているかのような気がしました。

 

 

そこに何点か掛けられていた軽量ウールコート

圧縮ウール(ボイルドウール、ウールメルトンともいう)

という

ウール生地を熱湯などによって縮ませ、ギュッと圧縮させた

フェルトみたいな布で作られていました。

 

f:id:TODAWARA:20220124082453j:plain


この圧縮ウール自体は

別に、新しくもなければ珍しくもなく

昔からコートなどには良く使われている素材で

 

生地の目がギュッと詰まっている事により

保温性がアップするという特長を持っています。


そして

 

ウールの割合が高く上質な物であればあるほど

重たい

というのが一般的。

 

 

f:id:TODAWARA:20220124185640j:plain

 

ところが

 

私がこの時見たコートの素材は

圧縮ウールの中でも

 

LanaCotta (ラナコッタ)

という

 

イタリアのプラート地方でしか織られていない

ウールとポリエステル混合

非常に特殊な

超軽量圧縮ウールなんだそうです。

 

本当にもの凄ーーーく軽くて

 

どれくらい軽いかと言うと

インナーに着るような、薄手のダウンジャケットみたいな重さしかないんですよ!!(◎_◎)

 

f:id:TODAWARA:20220124112846j:plain

 

裏地もついていて暖かそうだったし

可愛いコートだったので

思わず衝動買いしそうになったんですけど

 

しませんでした。

 

お金に余裕が無かったので。

 

f:id:TODAWARA:20220124113759j:plain

f:id:TODAWARA:20220124190501j:plain

「見ただけだよ!」

 

ともあれ。

 

ウールコートと言えば

重たい物かとばかり思っていましたので

 

あんなに軽いウールコートがこの世に存在していたなんて、ちょっと衝撃的でした。

 

 

f:id:TODAWARA:20220124081759j:plain



 

関連記事のご案内

 

 

ダッフルコートやピーコート、私は結構好きですよ。

todawara.hatenablog.com

 

 

こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

f:id:TODAWARA:20220120111315j:plain

 

f:id:TODAWARA:20220120111335j:plain

 

 

f:id:TODAWARA:20220120111352j:plain




 

 

 

 

 

「奇想の絵師達」は作品はもちろん、その性格も超個性的!〜辻惟雄「奇想の系譜」のご紹介と感想。

近年、日本画の世界において

「おっ!?」

一風変わった印象を与えられる感じの昔の絵

 

いわゆる

「奇想の画家」

と呼ばれる人たちの作品が人気になっていますよね。

 

f:id:TODAWARA:20220115120442j:plain

 

今回はこの

「奇想の画家たち」の魅力を世間に広め

ブームを巻き起こすきっかけとなった本

 

美術史学者の辻惟雄(つじのぶお)さんの

「奇想の系譜」(1969年)

をご紹介いたします。

 

f:id:TODAWARA:20220115090838j:plain

岩佐又兵衛浄瑠璃物語絵巻』(部分)

 

この本の中で紹介されているのは

江戸時代における

表現主義的傾向の画家────辻さんいわく

 

奇矯(エキセントリック)で

幻想的(ファンタスティック)な

イメージの表出を特色とする画家

 

岩佐又兵衛

狩野山雪

伊藤若冲

曾我蕭白

長沢蘆雪

歌川国芳

 

───の6人です。

 

f:id:TODAWARA:20220115121250j:plain

 

いずれも

存命当時から絵描きとしての名声高く

非常に人気のあった人ばかりなのですが

 

どういうわけか

明治から昭和にかけての日本美術界においては

彼らの評価は不当なほど低くなされていて

 

辻さんがこの本の元となった原稿を『美術手帳』誌上に連載されていた

1969(昭和44)年当時

 

日本のコレクターや専門家たちは

「あんなエゲツナイ絵」

などと言って

彼らの作品をスルーしている……という状況だったため

 

これらの作家の作品は

その良さを充分に知り尽くしている海外の愛好家たちによって買いまくられ

どんどん国外に流失してしまっている

 

──── という有様だったそうです。

 

f:id:TODAWARA:20220115122300j:plain

「サヨナラ〜」

 

そんな状況に歯がゆさを感じた辻惟雄さんが

一石を投ずるべく著したのが本書

「奇想の系譜」

です。

 

この本の中で

画家自身やその作品の魅力が

存分に紹介されたことにより

 

時代の流れの内に、忘れられたようになっていた6人の巨匠たちの業績

再びスポットライトを浴びることになったのです。

 

f:id:TODAWARA:20220115123213j:plain

 

それでは

この本で紹介されている画家たちについて

以下に

簡単にご説明をいたします。

 

 

エントリー№1

岩佐又兵衛(1578-1650)

f:id:TODAWARA:20220113134128j:plain

岩佐又兵衛浄瑠璃物語絵巻』(部分)



彼は織田信長に仕えていた戦国武将・荒木村重の息子です。

 

父の荒木村重織田信長を裏切った事により城攻めに遭い、長きにわたる籠城の末、密かに脱出して生き延びたのですが

 

城中に残された一族妻子は

信長によって全員処刑されてしまいました……。

 

── が

 

当時二歳だった庶子(妾腹の子)の又兵衛は、乳母の手によって密かに助け出され、生き延びていたのです!

 

その後、成長した彼は

織田信長の子の信雄に御伽衆のような形で仕えたり

「かぶき大名」松平忠直(家康の孫)に気に入られて越前北の庄で暮らしたりしています。

 

── と

そのような、非常に数奇な人生を送った

岩佐又兵衛ですが

 

実は、彼の絵こそが

浮世絵の源流だと言われているんですよ。

 

辻さんいわく

彼の画風には

「和漢諸流派の折衷をもととした雑種的要素」

があり

「どの流派にも属さぬ個性的感覚のアクが、すべての作品に染み透っている」

とのこと。

 

上に掲げてある絵は

彼が主宰していた工房で、複数の画工たちを率いて仕上げられたと考えられている

浄瑠璃物語絵巻』

という物語の一場面なのですが

 

隙間なくコテコテに描き込まれた絢爛豪華さ

ちょっと息苦しいほどで

私などは

いささか狂気を感じてしまったくらいです……。

 

この物語の内容は

牛若丸浄瑠璃ファンタジーラブロマンスなんですけれど

 

主人公たちの顔が……

表情が(特に牛若丸)……

あんまり素敵じゃない……(T_T)

(ディズニープリンセス達のお相手方とは大違い……)

 

まさに

「絢爛にして野卑」(近世文学者の廣末保氏・談)

といった感じです……。

 

同じく又兵衛工房製作と思われる絵巻物の

『山中常盤』(やまなかときわ)

 

こちらは

平家打倒のために奥州へ向かった牛若丸の身を案じ、その後を追って旅立った母、常盤御前に降りかかる悲劇の物語なのですが

 

そこに描かれたサディスティックな残虐さなどは

悪夢に魘されそうなレベルなので閲覧注意ですよ……。

 

f:id:TODAWARA:20220119161652j:plain



エントリー№2

狩野山雪(1590-1651)

f:id:TODAWARA:20220113134217j:plain

狩野山雪『雪汀水禽図屏風』(部分)



時の権力者たちから気に入られ、常に画壇の中心にあった狩野派

天下が徳川派豊臣派に分かれそうだ……と見て取るや

一門を東西二手に分け生き残り戦術を図りました。

 

江戸に行った狩野派(江戸狩野)は

幕府や大名を相手にして絶好調だったのですが

 

豊臣方に寵愛されていた京都の狩野派(京狩野)は

 

江戸時代に入ると、いまひとつパッとせず

貧乏クジをひいたような形となってしまいました……。

 

狩野山雪

そんな京狩野を率いる二代目当主(初代・山楽の養子)となります。

 

桃山の時代の空気をまとった豪壮な作風の師(養父)山楽とは打って変わり

 

山雪は几帳面な学者肌俗世間との交際を嫌い

家に籠って絵の事ばっかり考えているというタイプでした。

 

法橋の地位にまで叙せられ、功成り名を遂げた彼ですが

晩年、身内の借金の不始末で投獄されるという、非常に辛い目にも遭っています。

 

彼の絵には

奇妙に不自然な形でねじ曲がった木の枝や

奇怪な岩などがしばしば登場するのですが

 

その幾何学的な画面構成などからも

 

冷静で頭脳的な印象を受けるかたわらで

どこか鬱屈したような部分が感じられるような気がします……。

 

 

f:id:TODAWARA:20220119162813j:plain



 

エントリー№3

伊藤若冲(1716-1800)

f:id:TODAWARA:20220113134254j:plain

伊藤若冲動植綵絵』のうち『老松孔雀図』

 

京都の裕福な青物問屋にうまれた伊藤若冲

若くして身上を弟に譲り、楽隠居を決め込んでいます。

 

高価な材料を惜しみなく使って

心ゆくまで趣味的に独自の絵画を極めました。

 

彼は最初

狩野派から絵を学んだのですが

やがてそれに物足りなさを感じ

 

中国の古画を模写しながら

やがて

「写生」という所に行きつきます。

 

とはいっても、彼の場合

それは単に

物をそっくりそのまま描く、というわけではありません。

 

感性というフィルターを通し

内的なビジョンとして再構築され描き出されたそれは

 

華麗でファンタスティックな

若冲ワールドになっているのです。

 

そんな彼は

ほとんど、絵を描く事にしか興味が無いような人ではあったのですが

 

京都の市場の存続が危ぶまれた時などには

市場存続のために奔走するなど

 

世のため人のために一生懸命尽力するような一面もあったようですよ。

 

 

f:id:TODAWARA:20220124200731j:plain

 

 

エントリー№4

曾我蕭白(1730-1781)

f:id:TODAWARA:20220113134511j:plain

曾我蕭白『蝦蟇鉄拐図』(部分)

 

曾我蕭白(しょうはく)に関して知られている事は、非常に少ないのですが

本姓は三浦

丹波屋」を屋号とする京都の商家に生まれた

と考えられています。

 

グロテスク

エキセントリック

奇々怪々な絵を数多く描いているので

 

もしかしたら、画家本人も

相当な変り者なのでは……?

と思われるかもしれませんが

 

いやはや

まったくその通りでして

 

当時から奇人変人として有名だったようです。

性格は癇癪持ちで傲慢だったそうで。(^^;)

 

写生主義の円山応挙を敵視し(?)

「画を望むのなら俺の所に来い。絵図が欲しいんだったら円山主水(応挙)で良いだろうけどな!」

なんて事を言い放っていたそうです。

 

一方、円満な性格の池大雅とは仲良しだったようで

 

彼の家に誘われて蕎麦を食べに行ったところ

ついつい話に夢中になり、すっかりあたりが暗くなってしまい

 

(大雅)「うちに提灯ないから、行燈(あんどん)持ってってよ」

(蕭白)「そう?じゃ、この行燈使わせてもらうよ」

 

なんてエピソードが伝わっています。

暗い夜道を、両手で行燈抱えながら行ったんですかね……?(^^;)

 

f:id:TODAWARA:20220119155619j:plain

 

 

エントリー№5

長沢蘆雪(1754-1799)

f:id:TODAWARA:20220113134557j:plain

長沢蘆雪『虎図襖』(部分)

 

下級武士の子である長沢蘆雪(ろせつ)は、円山応挙の高弟です。

 

性格は快活で自信家で傲慢

 

(蕭白といい、蘆雪といい、どいつもこいつも……って感じですが)

 

そんな性格が災いしてか、何度か──少なくとも一回は──応挙から破門された事があるそうです。(-_-;)

 

多芸多趣味

馬術水泳剣術音楽なんでもござれ。

 

そんなある時

 

淀の藩主の前で独楽の曲芸を披露していたところ

 

ポーンと宙に投げた独楽を受け損じ

 

それが片目に突き刺さって流血!

 

そんな大惨事になりながらも、なおも平然として芸を続けようとしている蘆雪を、藩主お付きの侍が無理やり止めさせた……。

 

なんていうエピソードもあるそうです。(◎_◎;)

 

蘆雪の絵からは

なんというか……

 

「どうだい!」(^_-)

と言っているかのような

ケレン味みたいなものが感じられるような気がします。

 

辻惟雄さん曰く蘆雪のスゴさ

 

大画面を縦横自在に馳せめぐる線描の達人(バーテユオーゾ)としての水際立った腕前

にある────

 

とのこと。

 

やけにカワイイ無量寺『虎図』

もしかすると

悪戯心を起こした蘆雪が、巨大な猫を描いたのかも?

なんていう見解もあるそうです。

 

そんな蘆雪ですが

46歳の若さで大阪で客死しています……。

 

彼には、反感を持つ人が多かった事もあって

毒殺された

なんていう説もあるそうですよ……。

 

f:id:TODAWARA:20220119161433j:plain



エントリー№6

歌川国芳(1798-1861)

f:id:TODAWARA:20220113134745j:plain

歌川国芳『通俗水滸伝豪傑百八人之壹人 浪裡白跳張順』(部分)



歌川国芳

江戸末期の寛政9(1798)年

日本橋で紺屋を営む家に生まれた

チャキチャキの江戸っ子です。

 

12歳で人気浮世絵師歌川豊国の弟子となりました。

美人絵で評判の歌川国貞は兄弟子にあたります。

 

青春期にはなかなか評判があがらず、くすぶっていたのですが

 

葛飾北斎(37才年上)の仕事ぶりに影響を受け

 

30歳になるあたりから

豪快な武者絵でめきめきと頭角を現していきました。

 

西洋画の手法や怪奇趣味など

「良い!」と思ったものはどんどん取り入れて行く国芳

 

その後、作品の幅を広げていき

持ち前の想像力ユーモアセンス遊び心

人々をアッと驚かせるような絵をたくさん描き出していきました。

 

老中水野忠邦による天保の改革では

言論や風俗が厳しく取り締まられ

中でも

浮世絵などはやり玉に挙げられて

ギチギチに規制されていたのですが

 

そこは反骨精神にあふれた、江戸っ子気質の国芳

 

為政者を皮肉るような

暗喩をたっぷり忍び込ませた絵を描いてみせ

人々の喝采を浴びています。

(源頼光館土蜘蛛妖怪図』)

 

言いたいことが言えない、閉塞感の漂う時代にあって

風刺画スレスレの際どい絵を連発しまくる国芳

時代のヒーロー的な存在になっていました。

 

そんな痛快な男児国芳ですが

彼は猫が大好きでした。

 

彼の部屋にはいつも何匹もの猫がいて

絵を制作する際にも懐の中に猫を入れ、時折話しかけたりしながら、手を動かしていたそうですよ。

 

なんかちょっと、可愛いですよね。

 

f:id:TODAWARA:20220118083950j:plain

 

上にご紹介した

彼らに共通しているものは

「因習の壁を打ち破る自由で斬新な発想」

 

───とはいうものの

日本美術史を飾るような画家には、実はそういう斬新な人たちって多いんですよ。

(尾形光琳然り、葛飾北斎然り)

 

なので

 

「奇想の画家たち」は決して異端な存在ではなく

主流の中の前衛なのだと

辻さんは言われています。

 

(この本が出された1969年当時、彼らの存在はすっかり忘れ去られていたため、日本絵画に詳しい人の間でも「傍流」「異端」であると見なされ、まともに評価されていませんでした)

 

f:id:TODAWARA:20220115090926j:plain

伊藤若冲『向日葵雄鶏図』(部分)


それにしても、私が腑に落ちないのは

 

これほどまでの技量を持ち

同時代人からは「大家」という扱いを受けていた彼らをもってしても

 

時流によっては

顧みられる事が無くなってしまう

って所なんですよね……。(-_-;)

 

伊藤若冲のあんなに素敵な絵ですら

「エゲツナイ」

なんて言われてしまう時代もあったなんて

 

いかに芸術の評価というものが

移ろいやすい人心に左右されるか

 

ってことを物語っていますよねえ……。

 

f:id:TODAWARA:20220118084232j:plain


そんな事から考えると

 

芸術家という人達は

 

移ろいやすくアテにならない「他人の心」に合わせて作品を作るより

 

自分の感性を信じて

自分が「良い」と感じられるものを作る

という方が

正解なんだろうな、という気がします。

 

たとえ「自己満足」と言われようとも

自分自身が作品に対して納得できるのならば

 

少なくとも

その点においては一定の満足を得られますから。

 

最初から

受けを狙うために他人の好みに合わせる

という姿勢でいるよりは

 

好きな事をやっていたら

結果として他人にも受け入れられた

という方が

 

やっている方としても、ずっと幸せだろうし

それこそが理想的なあり方なんじゃないかな、と思います。

 

f:id:TODAWARA:20220120103905j:plain

 

ここに挙げられた「奇想の画家」の面々からは

 

自分のセンスに絶対的な自信を持っている

堂々たるところ感じられてきます。

 

世間から浮こうが

やりすぎ感があると言われようが

 

「これが好きなんだ!」

「これが俺のやりたい事だ!」

っていうのが

作品に強烈にあらわれている。

 

斬新さって、まさに

そう言う所から生まれてくるんじゃないでしょうか。

(画期的な芸術って、むしろ浮いてナンボって所がありますよね)

 

まあ

なんにせよ

 

自分のやりたいことを

自分のやりたいように表現できる

 

そこにこそ

 

芸術家の幸せのうちの、かなり大きな要素があるんじゃないかな……。

という気がします。

(作品が他人にウケるウケないは、その後の話)

 

f:id:TODAWARA:20220113134703j:plain

歌川国芳『其のまま地口 猫飼好五十三疋』(部分)



 

 

関連記事のご案内

 

国芳の弟子、落合芳幾&月岡芳年による明治の「新聞錦絵」もかなり強烈!

todawara.hatenablog.com

 

 

 

こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

 

f:id:TODAWARA:20220120111315j:plain

f:id:TODAWARA:20220120111335j:plain

 

 

f:id:TODAWARA:20220120111352j:plain