TODAWARABLOG

戸田蕨です。小説書いてます。よろしくお願いします。

猫ロスを癒すために猫型クッション「ミャウエバー」はかなり秀逸かもしれない。

1か月ほど前に、愛猫ミータ(10歳)を病気で亡くしてしまい

絶え間なく襲い来る悲しみと寂しさの波状攻撃に苦しめられていたのですが

 

そんな折

ひょんな拍子で購入した猫型クッション

思いのほか、慰められている所があります。

 

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猫を亡くしてしまってから感じる

堪えがたいほどの寂しさ。

 

その寂しさの中身を大きく二つにわけると

 

可愛かったあの子には、今生ではもう二度と会えないんだ……

 

という精神的な寂しさにくわえ

 

いつでも抱いたり撫でたり頬ずりすることによって、私の心を癒してくれた

 

あのふわふわと暖かいあの子の実体が

もうどこにも無くなってしまったんだ……

 

という物理的な寂しさ」があります。

 

そんなこともあって

 

ミータをうしなってしまった直後から

私は

彼の毛色に似たグレーのふわふわした素材のものを見ると

無性に触ったり撫でたり頬ずりしたくなってたまりませんでした。

 

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こちらは夫のフリースなのですが、色といいい感触といい、あまりにミータにそっくりだったため、「ちょうだい!」と言ったのですが拒否されてしまいました……。

 

そんな時

 

ネット広告で

ミータに似たグレーの猫の縫いぐるみが出て来たのを見て

ほとんど条件反射的にポチって、これを購入してしまったのでした。

 

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この子

 

最初は縫いぐるみかと思っていたのですが

 

(株)パートナーズという会社が

大手通販会社(株)フェリシモ「猫部」とコラボして

 

まるで本物の猫であるかのような

存在感抱き心地癒し効果を追及して作り上げたという

 

MeowEver(ミャウエバー)という名の

猫型クッションです。

 

なので

 

手足もありませんし

 

も無いんです!

 

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しかしながら

 

顔がついていないからこそ

むしろ

愛猫の姿を投影しやすい……という……。

 

── たしかに

 

ここに青い目黄色い目が付いていたとしたら

「違う……、うちの子の目はだった……」

なんて

かえって違いを意識してしまったかもしれませんから

 

私の場合は、この無顔というのは

正解だったように思います。

 

横顔はこんな感じになっています。

 

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中身と仕様は下図のとおり。

 

クッション本体の背中の窪みに

アルカリ単4電池2本を入れたゴロゴロメカを入れ

上から猫型のカバーを掛け

そのお腹側にジェルカイロをセットします。

 

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猫ちゃんをギュッと抱きしめると

このゴロゴロメカによって

ブン…ブン……

生命反応を思わせる心拍を感じる仕様になっています。

 

また

 

ジェルカイロを電子レンジで温めてからセットすると

まるで生きている猫さながらの体温を感じられる ──

 

とのことなのですが

 

抱っこしているこちら側の体温や

ひざ掛けがわりに使っている電気毛布などの暖かさによって、ジェルカイロがほんのり暖かくなってくるので

 

あえて電子レンジを使わなくても

うちの子は、そのままで

充分リアルな暖かさになってくれている感じです。

 

また

 

始終抱っこしていると

お腹に入れておいたはずのジェルカイロが

どうしても下半身の方に寄って来てしまうのですが

 

しかし

それによって

 

かえって

抱き心地や感触が

一層本物の猫っぽくなっているような気が……!!

 

つくづく

「よく考えられているなあ~」

と感心してしまいました。

 

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「お座り」の姿勢は出来ないのですが

あえて立たせてみるとこんな感じ。

 

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さすがに

「亡くなった愛猫と完全にイコール」

というわけにはいきませんけれど

 

哀惜や寂しさの気持ちを注ぐ

具体的な対象があるというのは

かなり気持ち的に救われるものなのだなあと感じました。

 

大変に可愛らしいし

 

今の私には

「ミーちゃん(ダッシュ)」

という感じの存在になってくれています。

 

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抱きしめたときに

こちらに反応して

鼓動したり、ゴロゴロ言ったりと

生きている感を示してくれるところが有難い……。

 

この商品は

今、猫ロスで悲しんでいる他の人にも

結構、心の救いになるんじゃないかな……と思いました。

 

今後もっと

毛色のバリエーションが増えたら良いですよね。

(2022年1月現在はグレーと黒のみ)

 

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愛猫を亡くした直後には

 

猫が使っていたものなんかを、以前と同じ場所に置いておくと

思い出して辛くなり過ぎてしまうから

 

少し視界に入りにくい場所に移動するとか

布か何かで覆っておくとかした方が

 

辛さは、少しだけ和らぎますよ。

 

ミャウエバ

 

売り上げの一部は

保護猫ちゃんを救うための活動に使われているそうです。

 

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可愛がっていたあの子には、いつかきっと、虹の橋のたもとで会えるでしょう。

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旅立ちし愛猫に捧げる挽歌

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愛猫を失ってから5か月 ──

todawara.hatenablog.com

 

 

 

こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

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超ど級の「ど」はイギリスの「戦艦ドレッドノート」が由来!

ド級〜!!

という時の

「ド」

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これ、漢字では

「弩」

と書きます。(超弩級)

 

弩(ど)というのは

本来

何をあらわしている言葉なのかと言いますと

 

「いしゆみ」「おおゆみ」と呼ばれる

飛び道具系の武器 ──

 

現代では

クロスボウとか「ボーガン」などと呼ばれている

 

弓と銃の合いのこのような武器

 

昔の中国や日本では

「弩」と呼んでおりました。

 

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それでは

 

超弩級「弩」

それの事なの?(・∀・)

 

と言いますと

 

さにあらず( `ー´)ノ

 

実はこれ

1906(明治39)年2月10日進水して

同年12月2日就役した

 

イギリス海軍戦艦

ドレッドノート(Dreadnought)

をあらわしているのです。

 

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Dreadnought

というのは

 

英語で恐怖不安をあらわす

Dreadという言葉と

ゼロということをあらわす

Nought

を組み合わせて作った合成語

 

「恐れを知らない」

というような意味なのですが

 

この戦艦が、それまでの戦艦に比べてあまりに際立って強力だったため

 

「めっちゃ大きい」

「めっちゃ強力」

という意味をも帯びてくるようになりました。

 

そのため

「戦艦ドレッドノート級にスゴイ」

ということを

弩級

 

「それよりもっとスゴイ」

ということを

超弩級

と言い表すようになったんです。

 

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それまでの戦艦は

レシプロ機関(ピストンエンジン)で動かしていたのですが

 

ドレッドノート

蒸気タービン機関を搭載することにより

格段にスピードアップ

 

中間砲や副砲を装着せず

単一口径の連装主砲塔を5基搭載することにより

 

本艦1隻で

従来艦2隻分の戦力を実現!

 

砲の命中率もめざましく向上!

 

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── というわけで

 

ドレッドノート(弩艦)の出現によって

 

それまでにあった世界中の戦艦

建造中の最新鋭艦を含めて全〜部

時代遅れのオワコンと化してしまったのでした。

 

(しかしそのため、世界で一番戦艦を保有していた英国海軍が、世界で一番オワコン艦を抱え込んでいる事になる……という皮肉な現象も……)

 

そして、これを機に

 

世界中の国々が

弩級を超える

超弩級づくりに邁進する事となっていくのです!

 

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第一次世界大戦の頃

(1914-1918)になると

 

主役はすでにド級

という時代になってしまったので

 

さすがのドレッドノート

主力艦の座からは

降りてしまっていました。

 

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とはいいながら

 

1915年3月18日には

ドイツの潜水艦を体当たりで撃沈!

という

大活躍ぶりを見せています。

 

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しかしながら

 

1916年5月

ついに「遅い」ということで

艦隊についていく事が難しくなってしまったため

 

ドレッドノート

テムズ川の第三戦艦の旗艦というポジションに落ち着く事となりました。

 

1918年

イギリス本国艦隊に復帰するものの

第一次世界大戦後には予備役を経て

 

1920年3月31日 退役

 

1922年 T・ウォード・アンド・カンパニーに売却され

1923年 解体となりました。

 

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それにしても

 

イギリスから遠く離れた日本で

今なお

「超ド級

なんて使われ方でその名を残しているだなんて……

 

本人(本艦?)が知ったら

さぞかし

どビックリすることでしょうね。(^^;)

 

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…………ところで。

 

この

 

びっくり

エライ

アホー

 

などと言う時に使われている

「ど」という言葉

 

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こちらの言葉も

戦艦ドレッドノート由来なのか……?

と思いきや

 

実は

こちらの「ど」

 

戦艦ドレッドノートとは

全くの無関係なんですよ。

 

これは、もともと関西方面で

 

「ののしる」ようなニュアンスや

「まさにそれ!」というような感じを

 

強調の意味合いを込めて使われていた接頭語でして

 

ドレッドノートが出現するずーーーっと以前の、近世以来から

俗語として使われてきた言葉なんです。

 

非常に似たような言葉でありながら

ルーツは全く違う所にある

なんて

 

どえりゃー意外ですよねえ……。

 

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えびフリャー

 

 

 

 

 

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背中が丸まっている海老をして「エビ反り」とは一体何ゆえぞ!?

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こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

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この晩秋旅立ちし愛猫に捧げる挽歌

愛猫のミータを腎不全で亡くしてしまってから、明日で一月になるのですが

 

悲しさや寂しさは、まだ一向に薄れることが無く

 

彼が使っていた首輪や、封を切って食べ掛けていたオヤツなどを目にしては、思わずボロ泣きしてしまう……という毎日です。

 

この苦しい気持ちが、おのずと五・七・五・七・七の短歌形式になって吐き出され

 

そんなものがいくつか溜まって来たので

 

愛猫の思い出かたがた、ここに書き残しておこうと思いました。

 

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何につけ

猫のことばかり 考える

みーちゃん きみは

可愛いかったよ

 

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なぜだろう

どこかで強く きみのこと

死ぬはずないと 思っていたよ

 

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3年前の2018年夏(当時7歳9か月)から糖尿病を患っていた上

 

2019年の春先には胃腸炎を悪化させて

生死の境をさまよい

 

その時から、すでに腎臓にダメージを受けていましたので

 

今回、血液検査などから見た彼の状態は

かなり深刻な事態になっていました。

 

それでも、なぜか

 

私にはどこか

「ミータが死ぬわけが無い、絶対に又元気になるはず」

と信じ切っている所がありました。

 

かつて一度、奇跡の復活を遂げた彼の生命力を、すっかり信じ切っていましたし

 

彼の方も

最後まで毛艶も良く

ジッと端正に香箱座りをしていましたので

 

まさかその数時間後

急に逝ってしまうことになろうとは

夢にも思ってはいませんでした。

 

最後の一週間は

毎日、病院に通っての輸液と血液検査。

 

家に帰ってからは

数時間おきに

シリンジで無理やり食べさせられるドロドロのフード……。

 

辛かっただろうに

嫌だったろうに

よく頑張って耐え抜いてくれました。

 

ほんとうに

えらい子だったと思います。

 

 

階段を

導くようにヒョコヒョコと

のぼりし君は

もういないのか

 

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鳴き声も

匂いも重みも

感触も

遠ざかりゆく

きみのいた日々

 

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亡くなってから火葬するまでの二日間

 

段ボール箱をお棺代わりにして、ミータの亡骸を入れ

彼がいつもいた部屋に安置していたのですが

 

生前そのままの、まるで眠っているかのような姿でありながら

 

温かかった彼の体がどんどん冷たくなっていき

柔らかかった体が死後硬直していき

 

まるで「物体」のようになってしまう感じが

なんとも言えず、悲しかったです。

 

生きている時には、あんなにも暖かい所が大好きだった彼の体を

保全のためとはいえ

保冷剤で冷やしておかなければならなかったのも

 

なんとも可哀想な気がして、苦しかったです。

 

 


箱の中

眠るがごとき愛猫の

生きた証の

熱が冷えゆく

 

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おめでとう

書く気になれぬ年賀状

喪中はがきは人だけなのか

 

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彼が亡くなったのは

11月ももうじき終わろうとする29日。

 

ほんの一週間後の12月6日には、11歳の誕生日が控えていました。

 

私の気分的には、もう

喪中そのものでしたから

 

さすがに年賀状を出すような気分にはなれなくて

今年の年賀状の準備は、ちょっと辛いものがありました。

 

例年でしたら

友人知人の顔を懐かしく思い浮かべながら年賀状を書く、という作業は

結構好きな方なんですけどね。

 

同様に

クリスマスも

今年は全然祝う気になれませんでした……。

 

 

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あいたくて

インターネットで

町なかで

似た面影を

さがしてしまう

 

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同じロシアンブルーといっても

やっぱり、みんなそれぞれ個性が全く違うので

 

似たような姿の子を見ても

「うちの猫はうちの猫

唯一無二の存在だったんだ」

という思いが強くなって

 

かえって、寂しくなってしまうんですよね……。

 

でも

同じ猫種、同じ毛色の子を歴代飼い続けている人の気持ちは、すごくわかるような気がします。

 

亡くした子の面影に、絶対に似ていますものね……。

 

 

今はもう

爪出す君がいないから

家の中でも

ニットを着てる

 

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ミータが生きていた時には

爪で台無しにされるのを用心していたので

普段着としてニットを着る、って事はなかったのですが

 

もういなくなってしまったので

箪笥の奥にしまってあったニットを引っ張り出して、普段着にしたりしています。

 

ニットって暖かいですよね。

でも

かたわらに猫がいてくれないのは、やっぱり寂しいです。

 

 

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三日月は

今みまかりし 猫の爪

夜明けの空に

白みて浮かぶ

 

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ミータが亡くなったのは

11月29日の夜中の3時ごろでした。

 

泣き明かして迎えた朝

南東の空に

猫の爪のような白い月が出ているのが見えていました。

 

 

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苦しいよ

君がどこにもいないから

名前を呼んで

また泣くんだよ

 

 

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ほんの少し前まで、量感と生命を伴ってすぐそこに存在していたものが

「どこにもいなくなってしまった」

という事が

いまだに信じられない ──

 

その喪失感の絶望的な大きさを実感しています。

 

あんなに小さな体をしているのに

猫の存在はものすごく大きかった。

 

ミータは私にとって

愚痴や弱音や甘えたい気持ちを、イヤな顔一つせずなんでも受け止めてくれる

優しいカウンセラーのような存在だったのかもしれません。

 

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愛猫がいなくなってしまった ──

という喪失感に耐えきれなくなっている所に

 

先日、ネット広告で出てきた猫型のクッションが、あまりに彼を思わせるところがあったので

思わず反射的にポチってしまいました。

 

「ミャウエバー」君というのですが

 

ギュッと抱きしめると

「ブン……ブン……」

と心音がするところや

大きさや重みがリアルな猫に近い所に

少しだけ慰められています。

 

 

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こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

 

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ザ・ドリフターズ(アメリカのR&Bグループ)が好き!!

ドリフターズが大好き!って言いますと

 

日本においては、ほぼほぼ

加藤ちゃんケンちゃんいかりやチョーさん

ドリフターズ」(8時だよ全員集合!)だと思われてしまうのですが

 

私がここで「大好きだ」と言っているのは

アメリカのR&Bグループの

THE DRIFTER'S(ザ・ドリフターズ)

のこと。

 

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「ラスト・ダンスは私に」の邦題で知られる

「Save the Last Dance for Me」

とか

「This Magic Moment」

とか

 

有名な曲がいっぱいあって

栄光のR&Bグループ

とまで言われるほどの存在なのに

 

日本での知名度

ど~もイマイチ低いんですよねえ……。

(あっちの「ドリフ」が人気あり過ぎて、その名前に隠れてしまっているというか……)

 

名曲「Save the Last Dance for Me」(ラスト・ダンスは私に)


www.youtube.com

 

 

このグループ

 

メンバーの入れ替わりが尋常でないほど多過ぎたり……

 

ザ・ドリフターズと名乗りだすグループが

関係者の間で何組も生まれてしまっていたり……

 

レコーディングしたメンバーと

ツアーしてまわってるメンバーが

まったく別人だったり……

 

かなりシッチャカメッチャなカオス状態でしたので

 

そんな所なんかも

日本における認知度の低さに

かなり影響を及ぼしてしまっているかも知れません……。(-"-;)

 

だって

グループのというべきリードボーカルですら

取っ代えひっ代え、コロコロと目まぐるしく変わっちゃうんですからねえ……。

 

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── というわけで

 

このグループの成り立ち有りようなどは

あまりに複雑すぎて

到底きちんとは説明できそうもないのですが

 

以下にその一端を、なるべく簡単にご紹介しようと思います。

 

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そもそもの始まりは1953年

 

ビリー・ワード&ザ・ドミノス

というグループでリードボーカルを務めていた

クライド・マックファター

 

昔馴染みの友人達と結成した

クライド・マックファター&ザ・ドリフターズ

 

初代ザ・ドリフターズの始まりです。

 

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「新しいR&Bグループを始めるヨ!全員集合〜!」

 

その時のメンバーは

リードボーカルクライド・マックファター以外に

 

ウィリアム・"チック"・アンダーソン

チャーリー・ホワイト

デビッド・"リトルデイヴ"・ボーグハン

デビッド・ボールドウィン

ジェームス・"リンクル"・ジョンソン

 

という面々。

 

1953年6月にニューヨークで

「Gone」「Lucille」の2曲を録音したのですが

 

アトランティック・レコードの社長がこのメンバー構成にダメ出しをしたため

マックファターは別のメンバーを集めることになりました……(T_T)

 

 

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いきなりのちゃぶ台返し

 

新生クライド・マックファター&ザ・ドリフターズ

メンバーをガラリと一変させ

 

リードボーカル

クライド・マックファター以下

 

ビリー・ピンクニー

アンドリュー・スラッシャー

ガーハット・スラッシャー

ウィリー・ファービー

ウォルター・アダムス

 

というメンバーで1953年9月

 

アトランティック・レコードからデビューシングル

「Money Honey(B面は初期メンバーで録音した「Lucille」)

を発売しました。

 

これがたちまち

R&Bチャートの1位となり

グループ最初のメジャーヒット曲となります。\(^o^)/

 

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やがてチョコチョコとメンバーチェンジをしながら

 

「Such A Night」(1953年11月)

Honey Love」(1954年6月)

「Bip Bam」(同年10月)

「White Christmas」(同年11月)

「What'cha Gonna Do」(1955年2月)

 

など、さらにヒット曲を連発していくのですが

 

そうこうするうちに

初代リードボーカルクライド・マックファター

軍隊に召集され、グループを離脱する事となりました……。

 

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代わってリードボーカルを務めたのは

デヴィット・ボーガン

 

彼は

「No Sweet Loving」(1955年)

Honey Bee」(1955年)

の2曲を吹き込むものの

離脱してしまいます。

 

その後

1955年9月〜57年3月リードボーカルを務めたのが

ジョニー・ムーア

 

この時点でのメンバーは

 

ジョニー・ムーア

ガーハット・スラッシャー

ビリー・ピンクニー

チャーリー・ヒューズ

 

という顔ぶれになっておりました。

 

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その後

ビリー・ピンクニーが抜けてトミー・エバンスが入り

 

リードボーカル

新人のボビー・ヘンドリックスに代わった……

──かと思ったら……

またまた

ビリー・ピンクニーがメンバーに復帰してきたりなんかして……

 

1957~58年あたりは

メンバーの入れ代わり立ち代わりがあまりに激し過ぎて

ちょっと説明しきれないくらいカオスな感じになっています。

 

そんなグチャグチャをくり返していくうちに人気が低迷していき

 

1958年

マネージャーのジョージ・トレッドウェル

ついにグループ全員を

解雇してしまいました。

 

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またまたちゃぶ台返し


……ところが

 

グループのメンバー達にはそれぞれ

「自分達こそが本当の

ザ・ドリフターズだ!」

という強い思いがありましたので

 

その後

ドリフターズを名乗る

複数の分派グループが出来る事態になってしまいました……。(^^;)

 

これらのグループは現在

「ビル・ピンクニーのオリジナル・ドリフターズ

とか

「チャーリー・トーマスのドリフターズ

などとクレジット表記されることで、本流との識別をされています。

 

 

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何やら、ラーメン屋とかの屋号問題を思わせるような……。

 

一方、マネージャーのジョージ・トレッドウェル

 

ニューヨークで活動していた

ファイブ・クラウンズというグループを雇って

 

彼らを

ザ・ドリフターズ

改名してデビューさせました。

1959年の事でした。

 

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それにしても

 

どうしてこのグループは

こんなにメンバーチェンジが激しいのか

と言いますと

 

初代リードボーカルクライド・マックファターがグループを抜けた際(1955年)

彼はその権利の多くをマネージャーのトレッドウェル売却していたために

 

ザ・ドリフターズのメンバー達は

トレッドウェルに雇われた

低賃金のミュージシャン

という位置づけになってしまっていたのです。

 

そのため、待遇面への不満が絶えず噴出し

人気と名声の割には

離脱するメンバーが後を絶たない……という状態になっていました。

 

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さて

 

ジョージ・トレッドウェル

ザ・ドリフターズ

と改名してアトランティック・レコードからデビューさせた
旧ザ・ファイブ・クラウンズ

 

メンバーは

 

リードボーカル

ベン・E・キング

 

そして

チャールズ・トーマス

ドック・グリーン

エルスブリー・ホッブス

という面々。

 

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ベン・E・キングといえば

 

今では

名画「スタンド・バイ・三―」の主題歌になっている

こちらの歌(「STAND BY ME」)で非常に良く知られている

大歌手ですよね!

 


www.youtube.com

 

 

彼をリードボーカルとした新生の

ベン・E・キング&ザ・ドリフターズ

 

1959年春

デビューシングルの

「There Goes My Baby/Oh My Love」

大ヒットさせ

たちまち人気グループになりました。

 

そしてドリフターズはこれより

輝かしい黄金時代を迎えることとなります。

 

「Dance with Me」(1959年)

「This Magic Moment」(1960年)

「Save the Last Dance for Me」(1960年)

「I Count The Tears(1960年)

などの名曲を連発した後に

 

ベン・E・キング離脱していきました。

(その後、彼はソロで活躍)

 

 

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新生ドリフターズになっても

メンバーチェンジが頻繁に繰り返されるのは相変わらず

リードボーカル

ベン・E・キング以後、しばしば変わっています

 

ベン・E・キング以外の

主なリードボーカル

 

「(If You Cry)True Love, True Love」(1959年)

を歌った

ジョニー・リー・ウィリアムズ

 

「Some Kind of Wonderful」(1960年)

「Up on the Roof」(1962年)

「On Broadway」(1963年)

を歌っているのは

ルディ・ルイス

 

そして

「Under the Boardwalk」(1962年)

「Saturday night at the movies」(1964年)

「I've got sand in my shoes」(1965年)

の時のリードボーカル

 

なんと

初期ドリフターズリードボーカルをしていた

ジョニー・ムーアです。

 

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その後1972年になると

ザ・ドリフターズは、長年所属していたアトランティックレコードを離れ

 

舞台をイギリスに変えて活躍します。

 

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ザ・ドリフターズには

 

1950年代

クライド・マックファター周辺による

「初期・ドリフターズ

 

1960年代にかけての

ベン・E・キング等による

「第二期・ドリフターズ

 

1970年代初頭

イギリスで活躍した脱アトランティックレコード時代

「第三期・ドリフターズ

 

3つの「輝ける時代」

がありました。

 

 

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彼らの曲は、もう、ほんと

名曲ばっかりなんですけど

 

その中で

私が猛烈に好きなのは

 

2期目、60年代のザ・ドリフターズによる

「Saturday night at the movies」

 


www.youtube.com

 

超意訳ですが

歌詞を和訳してみると、こんな感じでしょうか。(^_^)

 

週末の夜8時

どこに行くかって?

 

可愛いあの子を連れて

映画を観に行くのさ

 

そこいら中のみんなも

めいっぱい素敵に着飾ってさ

 

いつもみたいに思いっきり

楽しんじゃうのさ

 

土曜日の映画の夜

 

何を観るか?

そんなの知ったこっちゃないね

 

バルコニーであの子を抱きしめちゃうのさ

 

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古き良き頃のアメリカの

キラキラと幸福感にあふれた雰囲気に

どこか懐かしさを感じさせられる……

 

その上

お茶目で

可愛らしくって

 

も~~~

 

胸が締め付けられるほど

大っ好きな一曲です!☆

 

 

 

 

 

 

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ケーキに飾られたメレンゲやマジパンの細工がマズ過ぎて辛い……もっと美味しく作って欲しい。

 

もうじき

楽しいクリスマスがやって来ますね ───

 

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さて

 

クリスマスと言えば、何といっても欠かせないのが

クリスマスケーキ!

── なのですが

 

クリスマスケーキを食べる際

以下のような経験をされた方って

意外と多いのではないでしょうか。

 

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丸いクリスマスケーキをカットして、それぞれのお皿に分け

 

ケーキの上に飾られている

可愛らしい飾り物

その場にいるメンバーでワクワクしながら振り分けます。

 

チョコレートで作られた小さなお家

ホワイトチョコで出来た「MerryChristmas」のプレート

が割り当てられた面々は

「おいしいー♪」

大満足の笑顔。

 

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……ところが

 

サンタさん雪だるまなどの人形を割り当てられた人は

もらった時こそ

「かわいいー♡」

と大喜びしていたものの

 

それを一口かじるや否や

「まず〜い……」

 

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……と

いっぺんにブルーな気分になってしまう……

 

こんな経験

皆さんもお持ちなのではないでしょうか?

 

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ケーキの上に飾られている

あのお人形たち

 

プラスチックやロウソクで出来ているものもありますが

 

食べられる仕様である場合は

たいがいが

 

メレンゲドール(サラサラ系)

マジパン細工(しっとり系)

であろうかと思われます。

 

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これが

 

2021年12月の現時点においては

非常に残念な事ではありますが

 

ど~~~も

イマイチ美味しくないことが多いんですよねえ……。

 

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プロフェッショナルな職人さんが、一生懸命心を込めて作ったものを

 

「美味しくない!」

なんて言ってしまうのは

 

大変に心苦しい、申し訳ない気持ちもあるのですが

(だって私はあんなに上手に作れませんもの)

 

さりながら

 

ネット上の意見を見回してみましても

 

ケーキの上の人形細工を

「大好き!」

「美味しい!」

と評している人はあまり見当たらず

 

逆に

「まずい」

「どうやって食べればいいんだ」

「そもそもアレは食べても良いものなのか」

という意見の方が大勢を占めていますので

 

これは実際の所

 

ほとんどの人が密かに思っている事なんだろうと感じております。

 

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形は申し分なく可愛いんです。

 

その上

「食べられる物」ときたからには

食べずに捨ててしまうなんて、とっても可哀想な感じがする……

 

そうはいっても

あんまり美味しくない……

 

───という事で

前述のような悲劇葛藤

毎度毎度くり返される事となるわけですが……

 

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我が家では、このような飾り菓子は、誰も引き受け手がないために

 

「観賞用」ということで

庭の花の近くに置かれることとなり

 

風雨にさらされ、諸行無常のうちに自然消滅……

というのが毎度恒例となっております。

(夏だったらアリさん達のご馳走)

 

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それでは

 

あの飾り人形

からどのようにして

作られているのか?

 

そこのところを

以下に、ごくごく簡単にご説明いたしましょう。

 

 

メレンゲドール》

 

材料

・卵白

・グラニュー糖

・食用色素

 

作り方

① 卵白を良く泡だてる。

② グラニュー糖を入れ、さらに撹拌してクリーム状にする。

③ 色素を入れて色付けをする。

④ 絞り出し形を形成する。

⑤ オーブンで焼きあげる。

 

メレンゲドールの中には、上記の材料ではなく、砂糖、でんぷん、水あめ、ゼラチン……等から作られているものもあります。

その場合「メレンゲ(ホイップした卵白を焼いた菓子)」ではなく、「キャンディー」になるのでは?と、個人的には思います。

 

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マジパン

 

材料

・アーモンドの粉末(アーモンドプードル)

・粉砂糖(コーンスターチの入っていないもの)

・卵白

・食用色素

 

作り方

① アーモンド粉末と粉砂糖を混ぜ合わせる。

② そこに卵白を投入し、耳たぶほどの硬さになるまで混ぜ合わせる。

③ 食用色素を混ぜ込み、色を付ける。

④ 粘土細工のようにして形を作る。

 

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こう材料や作り方を見てみると

 

いかにも

美味しく仕上がりそうに思われませんか?

 

実際の所

メレンゲ菓子って普通に美味しいものだし

 

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マジパンにしたって

 

マジパンの本場、ドイツには

 

我々日本人のマジパン観を一変させてしまうような

趙美味なマジパン

ワンサカ存在しているっていう話ですよ。

 

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外国の美味しい食べ物を

得意のアレンジ力でもって

さらに美味しくしてしまう

 

そういう事において世界一長けている日本の職人さん達には

ここはぜひとも

 

ドイツ風の美味しいマジパンをさらに発展させ、趙美味しいマジパンを作っていただきたいところです。

 

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思うに ───

 

どうして現状

ケーキの飾りになっているメレンゲドールマジパン

あんまり美味しくないのかと言うと

 

たぶん

よりも見た目の方が重視され過ぎているから

なんだと思います。

 

ケーキ職人さん達からしてみれば

あれは刺身に載っけてある菊の花

みたいなもんで

 

食べても良いけど

食べなくても別に良い

っていう程度の位置づけになっているんじゃないでしょうか。

 

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しかし

こちら側としてみれば

 

食べられるものであれば、やっぱり食べたい

 

あまり美味しくないからと言って

食べ物を食べずに処分してしまうのには、心苦しさが伴うんですよね……。

 

菊の花だって

食べれば美味しいですからねえ。

 

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メレンゲドールにしても

マジパンにしても

 

見た目にはいくらでも可愛らしく作ることが出来て

しかも

本来的にはかなり美味しいはずのお菓子なんです。

 

可愛い!

その上

美味しい!

 

それって

ほとんど鬼に金棒みたいなものじゃないですか?

 

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そう考えると

 

メレンゲドールマジパンの潜在能力って

実はスゴイものがあるのかもしれません。

 

どこかの才能あふれるパティシエさんが、この分野で本気を出してプッシュすれば

 

彼らはケーキの飾りという現状の位置づけから脱皮して

それぞれ単体でブームだって起こせちゃうかも……!?

 

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……なーんて夢想してしまったりするのですが

 

皆さんは、いかが思われますでしょうか……?(^^;)

 

 

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吉川英治「梅里先生行状記」~心優しい水戸のご老公様は、道を外れてしまった家老をどうしたか……!?

今回は

吉川英治昭和16年朝日新聞に連載した中編小説

「梅里先生行状記」(ばいりせんせいぎょうじょうき)

のご紹介をいたします。

 

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タイトルにある梅里先生とは

徳川家康の孫にして常陸水戸藩の2代目藩主でもある

徳川(水戸)光圀(1628-1701)のことです。

 

水戸黄門として有名な

勧善懲悪のヒーローですよね。

 

梅がお好きなご老公には

梅里(ばいり)という雅号があるんです。

 

 

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水戸光圀は、その存命中から

名君として民衆からの人気が高く

 

亡くなった際には

「天が下 二つの宝つきはてぬ

佐渡の金山 水戸の黄門」

なんていう

狂歌が流行るほどだったそうですよ。

 

実は

彼が諸国を漫遊したという記録は一切確認されておらず

したがって、ドラマや講談の勧善懲悪ストーリー

完全にフィクションという事になるんですが

 

宝暦年間 (1751年~1764年)

彼の伝記を元にして

水戸黄門仁徳録」

という物語が作られ

 

幕末にもなるとそれを土台に

講談師が東海道中膝栗毛(弥次さん喜多さんで大人気)の要素を取り入れたりして

 

光圀公が俳人をお供に従えて、あちらこちらに世直しの旅をしてまわる、といった

水戸黄門漫遊記

の物語を作り出した ───

 

─── と、そんな風に考えられています。

 

江戸時代からすでにヒーロー物語の主人公になっていたなんて。

それほど、黄門様は人々に慕われていたんですねえ……。

(※「黄門」は「中納言」の中国風の呼び名です)

 

お供が俳人ではなく

家臣の佐々木助三郎渥美格之進になったのは明治時代からです。

 

助さんのモデルは

佐々宗淳(さっさ むねきよ 通称・介三郎)

格さんのモデルは

安積澹泊(あさか たんぱく 通称・覚兵衛)

といって

二人とも、光圀に仕えていた儒学者です。

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明治維新を経て

徳川家の威信や人気は

かなり低下してしまっていたのですが

(なにせ「朝敵」呼ばわりでしたからねえ……)

 

こと

水戸光圀に関して言えば

 

天皇家を敬ったり楠木正成を讃えたり、と

かなり尊王的な思想を持った人だったこともあって

 

明治の世になっても

評価や人気は依然、非常に高いままでした。

 

(……しかしながら戦後の「水戸黄門」では、彼の尊王的部分はほとんど描かれなくなっています……)

 

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───さて

 

今回ご紹介する

「梅里先生行状記」ですが

 

こちらは、そのような

勧善懲悪の諸国漫遊譚ではなく

 

光圀(68歳頃)が水戸で隠居中

 

小姓時代から目を掛けて可愛がってやり、江戸家老を任せている藤井門太夫という家臣が

 

当時、将軍綱吉の側用人として権勢を振るっていた柳沢吉保と結託し

 

なにやら良からぬことを企んでしまっているようだ……

という騒動がありました。

 

この時

ご老公は

一体どのように対処したか!?

 

というのが

この物語の大筋となっております。

 

 

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昔は純真な子だったのに、今はすっかり悪くなってしまった江戸家老の藤井門太夫



「あの恩知らずの恥知らず!」

「絶対に許さん!」

と憤り、藤井門太夫をやっつけようと血気にはやる、国許の家臣たち。

しかし

ご老公はなかなか動こうとはしません。

 

なぜなら

 

光圀にとっては、彼ら家臣たちと同様、藤井門太夫我が子のように可愛い存在だったのです……。

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そんな人情に厚いご老公

図に乗りまくって悪事を重ねまくる藤井門太夫

一体どのように

対処するのだろうか?

 

───というお話なのですが

 

これは

元禄7(1694)年

実際にあった事件が題材になっているんですよ。

 

まるで芝居の一幕であるかのように

非常に劇的

絵になる結末であっただけに

 

これが実際にあった事件だと知った時には、ちょっと驚いてしまいました。

(ここではネタバレはしませんので、気になる方はWikipediaの「徳川光圀」を覗いてみて下さい)

 

 

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光圀という人は

家康の孫というサラブレットの血筋ではありますが

 

幼少時代から少年時代にかけての彼の生い立ちは

必ずしも順風とは言い難いものでした。

 

側室の子として

一時は堕胎されかかりながらも

心ある家臣に密かに匿われながら出生した彼は

 

6歳の時に、その聡明さを見込まれて

後継ぎとして正式に認められることとなります。

 

しかし

 

兄(頼重)を差し置いて世子(後継ぎ)になることを決定されたことは

光圀の気持ちに複雑な思いを抱かせてしまい

 

その後彼は

手の付けられない不良少年になってしまいました。

 

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そんな彼も

 

18歳の時に

史記「伯夷伝」を読んで

大きな感銘を受けてからは

人が変わったように

勉学に打ち込むようになります。

 

彼は、藩士たちに儒学を奨励し、江戸小石川の藩邸に彰考館を設立し、そこで歴史書大日本史を編纂しはじめました。

これが後の水戸学(尊王攘夷的な思想を持つ)に発展していくことになります。

 

大日本史の編纂は非常に大きな事業であったため、光圀の存命中には完成しませんでした。

 

大日本史は光圀亡き後も

水戸藩の事業として営々と二百数十年にわたって継続され

 

明治39(1906)年

水戸徳川家13代当主 徳川圀順(くにゆき)侯爵が完成させています。

 

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本作品「梅里先生行状記」

昭和16(1941)年2月18日から

朝日新聞夕刊に、5か月余りにわたって連載されました。

連載終了後の12月8日に帝国海軍は真珠湾を奇襲攻撃し

太平洋戦争の火ぶたが切って落とされたという年です。

 

日中戦争の始まった昭和12年からすでに

国民を戦争体制に同調させるべく

マスメディアの情報操作プロパガンダが始まっており

 

各種芸能言論方面へ、表現の自粛を押し付けるような言論統制が始まっている時代でもありました。

 

このような時代背景を考えあわせてみると

 

物語中

光圀が大日本史」の編纂を決意するあたりや、

湊川に佐々介三郎を派遣して楠木正成の石碑を建てさせるあたりなどには

 

いささか皇国史観が強調され過ぎているようなムードを(現代人の目からしてみると)感じてしまうところも無きにしも非ず……

なのですが

 

しかしながら

明治〜戦前までの教育って、基本的にこういう感じの皇国史観でしたし

 

物語の主人公が勤王の水戸光圀ですから、そのあたりはそうなるべくしてなっているのかもしれません……。

 

───とはいうものの

 

本作品のそれらの部分からは

国民的歴史小説家・吉川英治

歴史観であるとか

歴史上の人物に対する考え方が窺い知れて

 

吉川ファンとしては

非常に興味深いものがありました。

 

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こちらは楠木正成

 

特に楠木正成の石碑を、石工たちと共に汗を流しながら作っている佐々介三郎

石屋の親方・権三郎と交わしている会話が、すごく良いんですよ。

 

───以下に引用してご紹介します。

 

 

「正成公ばかりではない。──古人はすべて死んでいない」

 

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「秀吉は、もう白骨のひとだが、逆境の若い者が、秀吉の幼少や少年のときを胸に呼び起せば、逆境何ものだという気をふるい出されよう。

……どんな貧家に生れたものでも、自分をだめだと思い捨てるまえに、秀吉ほどではなくても、将来の夢を持とうという気になるだろう」

 

「てまえも小さいとき、うちは貧乏だし、体はよわいし、死のうと思ったことなんかありましたが……そんなときには、誰か、自分を力づけてくれるものをさがしますね、いまの人よりも古い人のなかに」

 

「生きているひとなら力になりそうなものだが世事雑多だ。

生きている同士はかえって、ほんの心の友にも力にもなれない。

──そこへゆくと、古人にそれを求めれば古人はいつでもわが師となってくれる、わが友となってくれる」

 

 

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「この国の土中にかくれた、過去の偉大な白骨は、この国の非常な時に応じて、いつでも、その時にふさわしい古人が、現在の生きているものから呼び迎えられる。

そして文学やら絵やら口伝やら、あらゆる象(かたち)をとおして、ひとの知性や血液にまではいってゆく」

 

 

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介三郎のこのセリフ

 

すごく納得できる感じで、私は嬉しくなってしまいました。

 

昔の人たちって、ほんとうに生きているんですよね!

 

生身の体こそ、もうどこにもないけれど

彼らの生き様精神は、彼らの事を思う人々の心の中にずっと生き続けていて

 

励ましたり、慰めたり、アドバイスしてくれたり───と

今でも、すごいパワーを行使し続けていますもの。

 

それは本当に、私も深く深く実感しています。

 

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本作品に描かれた水戸光圀

学者肌ではありながらも、若い頃の放蕩の経験もあるために、酸いも甘いも噛分けた、スケールの大きな大人

(こういうオトナになりたいものですな~)

 

家臣や領民たちを、いつも暖かい目で見守っている

慈愛の人です。

(それだけに、悪徳家老・藤井門太夫に下した処分は衝撃的なんですが……)

 

 

楽しまずして何の人生ぞや。老公の口ぐせである。

楽しみある所に楽しむことはたれもする。が、そんな浅い楽しみ方ではまだ人生を真に噛みしめたものではない。

楽しみなき所にも楽しめる。

苦しみの中から苦しみの楽しさを汲み出せ。

こんこん人生の楽しさはそこから無限に湧いて来よう。

なぜならば、人生とは、母胎の陣痛から始まって、すべての快は、苦を越えなければつかみ得ないものになっているから───というのである。

 

吉川英治が梅の郷───西多摩郡吉野村(現在の青梅市)に転居したのは

戦局がより激しくなってからの

昭和19年3月のこと。

(その後、昭和28年まで吉野村で暮らす事になります)

 

したがって

本作品が書かれた昭和16年の時点では、彼はまだ「梅の里の先生」ではないわけですが

 

講談社刊・吉川英治歴史時代文庫「梅里先生行状記」の解説で進藤純考氏がお書きになっているように

 

この光圀像と吉川英治のイメージには

非常に重なる部分が多いように、私も感じています。

 

 

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ペットが待っている虹の橋〜歴代のペットがいる場合や、飼い主が1人じゃない場合。

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こちらの世界での生を終え

 

天に召されたペットたちは

 

天国の入り口にあるという

 

虹の橋のたもとに行くんだそうですよ。

 

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そこは、きれいな草原で

 

ぽかぽかと暖かく

気持ちの良い場所で

 

食べ物にも飲み物にも

何不自由する事も無く

 

あの子たちは

老いも病気もすっかり解消した

ピンピン元気な体になって

 

仲間達と楽しく遊んだり

ノンビリくつろいだりしながら

 

大好きだった飼い主さんと

また逢える時を待っているんだそうです。

 

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たった今

 

飼い主さんは、この子をうしなってしまい

 

悲しくて、恋しくて

苦しくて

 

涙にくれてばかりいます。

 

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「あの子は虹の橋のたもとに行ったというけれど

 

数年前に死別している

先代猫のクロちゃんや

 

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幼い頃に実家で飼っていた

ポムちゃんたちと

 

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仲良くやっていけるのかしら?」

 

 

大丈夫。

 

飼い主さんの

懐かしい匂いをきっかけに

 

あの子たちは、あっという間に仲良くなって

一緒に待っていてくれますよ。

 

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飼い主さんが

ここに来た時には

 

天国まで続く

虹の橋の長~いみちのりを

 

亡くなってからほど近い子から

順番コで一匹ずつ

 

それぞれた~っぷり

飼い主さんに甘えたりしながら

 

楽しく渡っていくんですよ。

 

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「あの子は家族みんなの事が大好きだったから

わたしの時には、もう虹の橋のたもとでは待っててくれていないかも……」

 

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そんな心配もご無用です。

 

あの子たちは

大好きな飼い主さん家族と

 

天国の素敵な場所で

一緒に幸せに暮らしながら待っていて

 

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飼い主さんが

こちらにやってくる気配を察するやいなや

 

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ながーい橋を一目散に

ビュンビュン走って渡って

 

必ず迎えに

来てくれるんですよ。

 

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