TODAWARABLOG

戸田蕨です。小説書いてます。よろしくお願いします。

猫に煮干しをあげるのは、あんまり良くない事だったらしいです。(-_-;)

うちのミータは煮干しが大好きなので、おやつに無塩タイプの煮干し(人間用の食べる煮干し)をあげていたのですが

 

ネット上を見ていましたところ

「猫に煮干しをあげるのは、実はあんまり良くない」

多くの獣医さんやニャンコさんサイトで警鐘が鳴らされている事に気が付き

 

ええーっ、

煮干しって、猫の体には良くないものだったの!?

(◎_◎;)

と驚いてしまいました。

 

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煮干しは

「ニャンコさんのおやつ」として堂々と売られている位なものなので

絶対にダメというほどイケナイものではないのですが

 

出来れば、あげない方が良いみたいです。

(人間でいえばスナック菓子みたいな……?)

 

その理由としては、まず第一に

塩分が多いから

という事が挙げられていました。

 

ニャンコさん達はもともと腎臓はあまり丈夫ではないため、多すぎる塩分は腎臓病を誘発してしまう恐れがあるんだそうです。

 

また、塩分により血圧があがると、心臓にも負担が掛かってしまいます。

 

今は無塩タイプの煮干しも売られているので

我が家ではそれをあげていたのですが

 

塩を使っていない煮干しでも、煮干しそのものに含まれている

豊富なミネラル(マグネシウム、リン、シュウ酸、カルシウムなど)

のせいで尿路結石になり

 

尿管や尿道が詰まってしまう事があるんだそうです。

 

特に、オスは重症化しやすいそうで…………。

 

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「ガーン!!!!!!」

 

これと同じ理由(ミネラルたっぷり)

 

実は

カツオ節もあんまり、

あげすぎるのは良くないらしいですよ。

(好きなニャンコさんは多いでしょうが……)

 

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その上

煮干し(イワシ)に含まれている

不飽和脂肪酸という物質は

 

ニャンコさん達の場合

取り過ぎると皮下脂肪が酸化して

炎症やしこりが出来てしまう

黄色脂肪症(イエローファット)というのになる恐れがあるんだそうです。

 

そしてこれは

イワシだけではなく

 

アジやサバなどの青魚はみんな、同様のリスクがあるそうで……。

 

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なので

 

煮干しをおやつとしてあげる場合には

無塩タイプ3センチ以下の小さいものを選び

 

塩分の多い頭の部分はなるべく取り除いて

1~2匹だけにした方が良いそうです。

 

そして、食べた後には

しっかり水を飲むことが大事だそうです。(いけない成分を排出するため)

 

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ただし、それは

健康でヤングなニャンコさん達の場合で

 

病気の子や、腎臓機能が低下しているシニアの子には

 

やっぱり

あげない方が良いそうですよ……

(ノД`)・゜・。

 

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「ガーン!!!!」(病気&中年だ……)



 

 

 

 

こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

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台風スウェル

台風スウェル

 

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岡倉天心「茶の本」のご紹介〜茶の湯の美は老荘思想と禅にあり。

今回は

思想家岡倉天心1906年に英文で著し

The Book of Tea

として出版された名著

茶の本(村岡博訳)

のご紹介をいたします。

 

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茶の本というタイトルではありますが

こちらの本は、茶道の細かい作法を記したものではなく

 

茶道というものを通して、そこにある

美的な精神哲学など

わかりやすく伝えるような内容となっております。

 

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 岡倉天心(覚三) 略年表

 

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1862(文久2)年 

福井藩が横浜に開いていた商館「石川屋」(現在、横浜市開港記念館がある場所)に

そこを任されていた藩士の次男として生れる。

当初の名前は「角蔵」だったが、後「覚三」に改められる。

 

幼い頃より英語や漢学に親しんで育つ。

 

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横浜市開港記念館 通称「ジャックの塔」ここが岡倉天心生誕の地

 

1875(明治8)年 13歳

東京開成所(2年後に東京大学に改編)に進み、絵を学びながら政治学と理財学を修める。

 

英語が得意だったため、講師のアメリカ人アーネスト・フェノロサ(1853-1908)の助手となり、彼の美術品収集を手伝う。

 

1880(明治13)年 18歳 

東京大学文学部を卒業し、文部省に務めはじめる。

 

 1881(明治14)年 19歳

フェノロサと共に日本美術の調査をする。

 

※当時の日本では、西洋文化崇拝の風潮や廃仏毀釈の余波などがあって、伝統的な日本美術が軽視される傾向がありました。

 

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1882(明治15)年 20歳

文部省に籍を置きながら、専修学校(現・専修大学)の教官となり大活躍。

 

1886-7(明治19-20)年 24-25歳

東京美術学校(東京藝術大学美術学部の前身)設立のため

フェノロサと共に欧米視察旅行。

 

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日本美術の影響によるアールヌーボーの盛り上がりを見て、日本画推進への思いがより強固になった。

 

1887(明治20)年  25歳

東京美術学校幹事となる。

 

1888(明治21)年 26歳

パトロンであった文部官僚・九鬼隆一男爵の身重の妻・波津子と不倫してしまう。

(九鬼夫妻の離婚後に生れたのが「いきの構造」で知られる哲学者の九鬼周造)

 

1889(明治22)年 27歳 

美術雑誌「国華」を創刊。 

 

1890(明治23)年 28歳 

開校した東京美術学校の初代校長に就任。(副校長 フェノロサ)

 

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現在の東京藝術大学

 

1898(明治31)年 36歳

美術学校内に騒動が起こる!

(学内の派閥争い。先の不倫のために九鬼隆一と岡倉との仲が悪くなっていたという事情も、微妙に尾をひいていたようです……)

 

東京美術学校校長を辞職し、連帯辞職した横山大観や下村観山らと共に日本美術院を創立する。

(現在もある「院展」はここ主催の公募展覧会です)

 

1901-2(明治34-5)年 39-40歳

インドに渡りタゴール家に迎えられる。

 

1903(明治36)年 41歳

The Ideals of the East(東邦の理想)」上梓

 

1904(明治37)年 42歳

この年からボストン美術博物館の東洋部顧問、部長として半年はボストン、半年は茨城県の五浦(いづら)で暮らすようになる。

THe Awakening of Japan(日本の目覚め)」上梓

 

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北茨城五浦にある六角堂は、天心自身の設計による思索の場。

 

1906(明治39)年 44歳

The Book of Tea(茶の本)上梓

 

1913(大正2)年 51歳

帰国中に新潟県にある赤倉温泉の山荘にて病のため死去。 

 

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今では岡倉天心という名前の方で良く知られている彼ですが

 

「天心」と雅号で呼ばれる事は

生前にはほとんど無かったそうで

もっぱら「岡倉覚三」で通っていたそうです。

 

 (私が読んだ岩波文庫版の著者名も岡倉覚三になっています)

茶の本 (岩波文庫)

茶の本 (岩波文庫)

 

 日本美術界を復活させた

大功労者である天心ですが

 

第二次世界大戦の時に

京都が空襲を免れたのも

天心のおかげだった!

という説があるんですよ。

 

ボストン美術館で彼の助手を務めていたアメリカ人

ラングドン・ウォーナー(1881-1955)が

 

日本の古美術を守るため

アメリカ政府に働きかけてくれたんだそうです。

※ただし異説もアリ……

 

 

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このように

 日本の伝統美術の恩人のような存在であった岡倉天心

 

茶の本」では、そんな彼の

 美というものに対する考えや

芸術観が随所に披露されており

大変に興味深かったです。

 

たとえば

 

芸術作品鑑賞者との間には

お互いを良く知ろうとする謙虚な心の交流が必要である

 

と説くこのくだり

 

同情ある人に対しては、傑作が生きた実在となり、僚友関係のよしみでこれに引きつけられるここちがする。

名人は不朽である。

というのは、その愛もその憂いも、幾度も繰り返してわれわれの心に生き残って行くから。

われわれの心に訴えるものは、伎倆(ぎりょう)というよりは精神であり、技術というよりも人物である。

呼び声が人間味のあるものであれば、それだけにわれわれの応答は衷心から出て来る。

各人とわれわれの間に、この内密の黙契があればこそ詩や小説を読んで、その主人公とともに苦しみ共に喜ぶのである。

 

「芸術鑑賞」の章より

 

技術的に、どんなに上手に仕上がっていようとも、作者の真摯な心がこもっていない作品は傑作にはなり得ない

 

「全く、その通り!」

と、胸のすくような思いがしました。 

 

この文章に続けて天心は

 

傑作と言われるものからは肝胆相照らすような親しみが感じられる一方、

技術にばかりに没頭して

「どうだ、おれってスゴイだろ?」

という域を脱せないような作品は、親しみが感じられず、平凡に終わってしまう

 

という趣旨の事を語り

次のように述べています。

 

日本の古い俚諺(りげん)に「見えはる男には惚れられぬ。」というのがある。

そのわけは、そういう男の心には、愛を注いで満たすべきすきまがないからである。

芸術においてもこれと等しく、虚栄は芸術家公衆いずれにおいても同情心を害することはなはだしいものである。

 

「すきま」が必要である、っていう所がなんだか面白いですよね。

 

いっぱいいっぱいの状態ではなく

心には余白が必要なんですねえ……。

 

 

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序文で弟の岡倉吉三郎(英語学者)が述懐しているところによると

天心の性格は狷介(頑固)直情径行気味だったようですが

 

この本からは、そういうイメージとはちょっと違う

 

美を愛するロマンチストな部分とか

優しくて温かい、彼の一面が伝わってくるような気がしました。

 

まあ、茶でも一口すすろうではないか。

明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟(しょうらい)はわが茶釜に聞こえている。

はかないことを夢に見て、美しい取りとめのないことをあれやこれやと考えようではないか。

 

「人情の碗」の章より

 

 

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こちらの本は、英語で書かれていたものなので

村岡博(弟・吉三郎の弟子)によって、日本語に訳されているのですが

 

詩的で美しい表現に

「さすがは美術界の泰斗……」

ウットリさせられてしまうような文章が随所に見受けられました。

 

たとえば

こちらのような……

 

原始時代の人はその恋人に初めて花輪をささげると、それによって獣性を脱した。

彼はこうして、粗野な自然の必要を超越して人間らしくなった。

彼が不必要な物の微妙な用途を認めた時、彼は芸術の国に入ったのである。

 

「花」の章より

 

 

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 花によっては死を誇りとするものもある。

たしかに日本の桜花は、風に身を任せて片々と落ちる時これを誇るものであろう。

吉野や嵐山のかおる雪崩の前に立ったことのある人は、だれでもきっとそう感じたであろう。

宝石をちりばめた雲のごとく飛ぶことしばし、また水晶の流れの上に舞い、落ちては笑う波の上に身を浮かべて流れながら

「いざさらば春よ、われらは永遠の旅に行く。」

というようである。

 

「花」の章より

 

 

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はもともと中国南部発祥で

薬として利用されていたのですが

4、5世紀になると揚子江流域の人々の愛好飲料になりました。

 

唐代に入り

詩人の陸羽が、茶の聖典「茶経」を著し、茶道を組織立てます。

 

宋代になると

茶道は、当時広く信じられていた道教思想と合わさり

やがて

道教的な教義を持つ仏教の南方禅宗が、茶の儀式を組み立てていきました。

 

達磨像の前に集まった僧たちは

一つの碗から聖餐のように儀式ばって茶を飲みました。

(これが日本の茶の湯の源流)

 

茶の葉は遣唐使によって我が国に輸入されます。

 

平安時代

最澄が茶の種を持ち帰り、叡山に植えました。

 

1191年

南方禅を研究するために宋に渡っていた栄西も、茶の種を持ち帰り

宇治、栂尾(とがのお)、背振山(福岡と佐賀の間)の三か所に植えました。

 

南宋禅の広がりと共に

茶の儀式や茶の理想も広がって行き

 

室町時代には

将軍足利義政が奨励するところとなり

 

日本の茶の湯は完全に仏教から独立し

世俗の物として確立されました。

 

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茶の湯の世界の根底には、老荘思想の精神があります。

 

そのため、茶の美術では

「虚」

というものが大切にされます。

 

何物かを表わさずにおくところに、見る者はその考えを完成する機会を与えられる。

かようにして大傑作は人が実際にその作品の一部分となるように思われる。

 

道教と禅道」の章より

 

また

 

完成ということそのものよりも

不完全なものを完成させる過程こそが重要

(完成された状態は、見る者に生き生きとした想像力を働かせないから)

 

ということで

装飾においても、完成された状態とか、均斉などをことさらに避けたり

重複避けたりする

 

などという所も大変に興味深かったです。

(生花があれば草花の絵は駄目、香炉や花瓶で床の間を二等分してしまうのもNGだそうです)

 

 

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天心はこの本の中で

「茶は生の術に関する宗教である」

と言っています。

 

茶は純粋と都雅を崇拝すること、すなわち主客協力して、このおりにこの浮世の姿から無上の幸福を作り出す神聖な儀式を行なう口実となった。

茶室は寂寞(せきばく) たる人世の荒野における沃地であった。

疲れた旅人はここに会して芸術鑑賞という共同の泉から渇(かわき)をいやすことができた。

 

(中略)

 

そのすべての背後には微妙な哲理が潜んでいた。

茶道は道教の仮りの姿であった。

 

「茶の諸流」の章より

 

 

昨今

世界中で様々な意見の違いが先鋭化して

「人々が分断されている!」

などと言われていますが

 

本気で分断を憂い

心の通じ合いを求めるのならば

 

茶室に入る際に

武士が刀を外していくように

各々の思想信条は極力排除して

 

美しいとか

楽しいとか

美味しいとか

 

共通の体験や感情を通して、人々が無心に繋がることが出来る

茶の湯のよう

思想上の空白地帯が 必要なんじゃないかな……

 

などと思ったりいたしました。

 

 

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新渡戸稲造「武士道」

todawara.hatenablog.com

 

 

 

 

 

こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。 

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台風スウェル

台風スウェル

 

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「よなげる(淘げる)」なんていう言葉があるの、知ってましたか?

みなさんは

淘げる(よなげる)

なんて言葉があるのをご存じですか?

 

私は、先日辞書で見るまで

全く知りませんでした。(*_*;)

 

淘汰する「淘」「よな」と読み

それに「げる」が付いて

「よなげる」

 

意味は

 

①米をとぐこと

②水に入れて、細かいものを洗い分けること

③より分けて、悪いものを捨てること

 

だそうです。

 

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という字自体に

水ですくってより分ける

という意味があるのですが

 

この字が使われている

淘汰

という言葉がありますよね。

(「不要の物を取り除く」という意味の)

 

実は、下に使われているの字の方にも

汰げる(よなげる)という読み方があり

言葉の意味は全く同じになります。

 

……強い勢いで水を流す、すすぐという意味を持ちます。

 

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ところが

実は

「淘げる」「汰げる」以外にも

 

という字を使った

沙げる(よなげる)

という字を使った

淅げる(よなげる)

があり

 

これも、全く同じ意味になるんだそうですよ。(◎_◎)

 

ちなみに

という字には

水中でより分けて悪いものを捨てる

という意味があり

 

という字には

米をとぐ、といだ米、かしよね(水で洗い清めた米)

という意味があります。

 

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「よなげる」

(淘げる・汰げる・沙げる・淅げる)

 

よなない・よなます・よなげる・よなげる時・よなげれば・よなげろ

と活用する

下一段活用です。

 

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「さあー、クランベリーをよなげよう〜」

 

それにしても、この言葉

 

古語でもないし、文語的というわけでもない

バリバリ現役の言葉であるにもかかわらず

 

現状、あんまり使われていないのは

なぜなんでしょうね?

 

日常生活を送っているうえで

「よなげる」ようなことが

ほとんど無いからなんでしょうか……。

 

うーむ……

 

お米をとぐ時には

普通に「米を研ぐ」って

言っちゃいますものねぇ……。

 

この言葉をいかにも使いそうな場面と言えば、やっぱり

 

砂金採りの時くらい

ですかねぇ。

 

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かつては

黄金の国ジパング

と呼ばれただけあって

 

実は日本には

砂金採りが出来る所

今でも結構あるらしいですよ。

 

金山だった所の近くにある川に

砂金が紛れている事があるんだとか……

(; ・`д・´)ゴクリ……

 

砂金採りともなれば

私も間違いなく血眼になって

 

よなげてよなげて

よなげまくっちゃうでしょうねぇ……。

 

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砂金〜!!!!

 

 

 

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 料理をする意味の「料る」なんて言葉があるんですよ。

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渋い柿は「醂す(さわす)」事が必要です。

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 「平」に似ている「乎」の字について

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 大阪の「阪」が「坂」だったり「阪」だったりする理由

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こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

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台風スウェル

台風スウェル

 

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料理をすることを「料る(りょうる)」なんていう言葉が昔からあるそうです。

先日、辞書を見ていたら

「料る」(りょうる)

という言葉が出て来て

「料理をする」

という意味だったので、驚いてしまいました。

 

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「りょ〜る!」「セニョ〜ル!」

 

 えぇぇぇぇ〜、なにそれ?

初めて聞いた言葉なんだけど……

 

も、もしかして

知らなかったの私だけ……?(・_・;)

と思い


一体どれくらいメジャーに使われている言葉なのか

ネットで調べてみたところ

 

現代では相当

マイナーな言葉らしく

あまり多くの情報は得られませんでした。

(-。-)

 

そんな中

コトバンクさんのサイトで

デジタル大辞泉での用例として

夏目漱石「永日小品」(明治42年作)の一文があげられていました。

 

「永日小品」は読んだ事があるものの

「料る」に関してはすっかり記憶から消し飛んでしまっていたので

 

本棚から本を引っ張り出して確認してみましたら

 

ありました!

 

「永日小品」の中にある

山鳥という章の、出だしからすぐの部分

 

漱石邸を訪れて来た初対面の青年が

故郷から届いた山鳥を手土産に持ってきて

それを羹(あつもの……煮込み汁)にして、その場にいた人々に振る舞う場面にそれはありました。

 

その日は寒い日であった。

すぐ、みんなで山鳥の羹を拵えて食った。

山鳥料る時、青年は袴ながら、台所へ立って、自分で毛を引いて、肉を割いて、骨をことことと敲(たた)いてくれた。

 

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「料る」と言う言葉は
辞書には「文語 四段活用」と書いてあるので

 

料らない / 料ります / 料る / 料る時 / 料れば / 料れ

と、活用するみたいです。

 

「料理してよ~」

と言いたい場合には

「料ってよ~」

 

それに対して

「うん、じゃあ料るよ!」

とか

「嫌だ、料りたくない!」

というようにして使うんでしょうかね?

 

 相手に通じるかどうかが問題ですが……

(;・∀・)

 

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「料」という字は

「米」「斗」からなっています。

 

「斗」は取っ手が付いたひしゃくの形。

 

元々はなどの量をはかる事「料」と言いました。 

 

そしてそこから

数える推し量る切り盛りするはからう

などの意味がうまれたそうです。

 

ですから

「料る」と書いた場合には

「りょうる」以外に

「はかる」という読み方もあるんです。

 

ちなみに

 

この料る(りょうる)という言葉には

「料理する」

以外にも

 

「物事をうまく処理する」

という意味も

あるんだそうですよ。

 

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「フッフッフッ、まんまと料ってやったぜ」……なんて風に使うんでしょうか……。



 

 

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 「平」に似ている「乎」という字について

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「 淘げる(よなげる)」なんていう言葉があるんですよ。

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 柿のために「醂す」なんて言葉があるんです。

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 「いち早く」は「一早く」ではなく「逸早く」。

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 なみなみ注がれた「したみ酒」……「したむ」ってどういう意味?

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 こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

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台風スウェル

台風スウェル

 

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寒くなるとハムスターは仮死状態に陥りやすく、複数飼いの場合には共食いの危険性まであるので注意!!

秋ですねえ。

日ごとに寒さが深まりつつある今日この頃

  

今回は

寒さ集団生活がハムスターに及ぼす怖ろしい危険性

について、お伝えしようと思います。

 

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小学校高学年の頃

私は自室(北西に向いた寒い部屋)で

ゴールデンハムスターを飼っていました。

 

ある寒い冬の朝

ケージの中のハムスターが眠ったような姿のまま

冷たくなって動かなくなってしまった事があり

 

「死んじゃったの!?」(;O;)

と、パニックになってしまいました。

 

手の中でさすりながら、ずっと暖めていたら、次第に息を吹き返し、動き出してくれたので良かったのですが

 

ハムスターって、このように

寒くなると

仮死状態になってしまう事が

実は結構多いんです。

 

 

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ハム達が快適に過ごせる温度は

18〜26度くらいだそうで

 

寒くなると低体温症になり

凍死寸前という状態に陥ってしまうのです。

(10度以下になると特に危険)

 

これは

疑似冬眠と呼ばれているのですが

 

実際のところは

冬眠なんて悠長な話ではなく

凍死寸前の危篤状態です。

 

この状態のハムを見て

「死んじゃった!」

と誤解したまま生き埋めにしてしまう

などという悲劇も結構頻発していて

 

私の知人の保育士さんなども

園で飼っていたハムスターがこの状態になり

「死んじゃった……」

(ノД`)・゜・。

と思って

園児たちと一緒に園庭に埋葬した所

 

お昼になって

だんだんと太陽光で土が暖められるうちに

 

復活したハムが

自力で土から出て来た

などという事を体験しています。

 

助かって良かったよぉぉぉ~……(T_T)

 

 

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寒さの余り仮死状態になったハムスターは

そのままでいると

本当に死んでしまう危険性が大なので

 

手のひらや、カイロで暖めたタオルなどに包んで

じんわりと優しく暖めてあげます。

(急激に熱くするのは、心臓に負担がかかっちゃうからNG!)

 

再び動き出すようになったら

砂糖水などをあげて

栄養補給してあげてください。

 

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そして

ハムスターが疑似冬眠になったのを見つけた時

 

もし

同じケージで

複数飼いをしていたとしたら

 

一刻も早く

仮死状態のハムスターを

そこから隔離してあげた方がいいです!

 

なぜかというと

 

元気なハムが

動かなくなったハムを

共食いしてしまう

危険性があるんです!!

 

これは私の友人の話なのですが

 

ケージにハムスターを何匹か一緒に飼っていて

 ある寒い朝

一匹が仮死状態になっている事に気付いた彼女が

 「ああ、どうしよう……」

と動転しつつ

ほんのちょっと目を離していたら

 

その間に

 

他の元気なハムスターが

仮死状態のハムスターを

共食いして

しまったんです…………

(◎_◎;)))

 

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ハムスターを複数、同じケージで飼うのは

とても可愛いらしく見えるのですが

 

彼らは基本的に

野生では単独行動をしている動物なので

縄張り意識が非常に強いんだそうです。

 

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ペットショップでケージに入れられているハムスター達は、生後間もない子供である場合が多いので

まだそれほど喧嘩をしないのですが

 

生後60日を過ぎた大人のハムスターは

縄張り意識が強くなっているので

複数飼いをするとストレスを感じてしまいます。

 

(そうなると喧嘩をしたり、時には、弱ったハムを食い殺したり……などという悲劇も……)

 

なので

 

つがいであっても繁殖のとき以外には

基本

別々に飼育した方が良いですよ。

 

唯一、多頭飼いが出来るのは

ロボロフスキーと言われていますが

 

それでも

相性次第では喧嘩や共食いが絶対に無いわけではありませんので

注意してあげた方が良いですよ。

(万全を期すなら単独飼育)

 

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……ということで

 

今回の記事をまとめますと

 

・ハムスターは寒くなると仮死状態に陥りやすいので注意

 

・複数を同じケージで飼っていると、仮死状態になったハムが共食いされてしまう危険がある。

 

・ハムは1ケージ1匹の単独で飼うのがベスト

 

という事になります。

 

 

ハムスターの防寒対策には

 

・おが屑や新聞紙の量を増やす

・ケージの下に段ボールやコルク材などの断熱材を敷く

・ケージを段ボールで覆う

・ケージを毛布やタオルなどで覆う

 

などの他

 

・ペット用のヒーターを使う

 

なんていう手もあるそうですよ。

 

 

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「暖かくしてね~」



 

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 カブトムシのオス同士は絶対に一緒に飼っちゃダメ!

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 「ニルスの不思議な旅」とハムスターについて

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こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

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台風スウェル

台風スウェル

 

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「六義」「六書」~漢字バージョン・漢詩バージョン・和歌バージョンと色々あってややこし過ぎるコレらについて整理してみました。

東京の小石川に六義園と言う庭園があります。

 

徳川5代将軍綱吉の側用人柳沢吉保によって造られた、大変見事な大名庭園ですが

 

この六義園という名前

詩経「六義」や和歌の「六義」にちなんで付けられたものだと言われてます。

 

 

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さて この

「六義(りくぎ)」

という言葉

 

辞書を引くと色々と説明が出て来るのですが

漢詩の六義」

「和歌の六義」

「漢字の六義」

あまりにも種類が多すぎ

頭が混乱してしまいそうになります。

 

さらには

「六義」「六書」と言うことがあったり

「六体」なんて言い方まで飛び出してきたりして

 

ややこしいったら

ありゃしません。

 

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もう、ぐちゃぐちゃ!!

 

 そこで今回は

「六義」をめぐる

そのあたりのグチャグチャ

スッキリと整理してみようと思いました。

 

 ---------------- 

 

まずは第一に

 

漢詩の六義】

というものがあります。

 

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これは

孔子が編纂した中国最古の詩集

詩経で言われているところの

 

風・雅・頌・賦・比・興

という

漢詩の六つの形のことです。

 

これを個別に説明いたしますと

 

風(ふう) 

各地で歌われていた民謡

雅(が) 

儀式の際に用いられる音楽

頌(しょう) 

祖先をまつる祭祀の歌

賦(ふ) 

事柄をそのまま述べること

比(ひ) 

直接的な比喩

興(きょう) 

自然を象徴的に歌い、それによって事柄を連想させる方法

 

と、

このようになります。

 

 ----------------

 

そしてこの漢詩の六義転用して

 

古今和歌集の仮名序で

紀貫之が述べた和歌の六種類の形

 

そえ歌・数え歌・なぞらえ歌

たとえ歌・ただこと歌・祝い歌

という

 

【和歌の六義】

が出来ました。

 

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その内容は

このようになっております。

 

そえ歌 

ほかの物事に事寄せて、自分の気持ちを詠んだ歌。

数え歌 

感じた事をそのまま詠んだもの。

物の名を詠みこんだもの。

漢詩の六義では(事柄をそのまま述べる)にあたる。

(なぜそれが数え歌なのかは謎)

なぞらえ歌 

漢詩の六義のにあたる、直接的な比喩を使った歌。

たとえ歌 

漢詩の六義のにあたる、自然を象徴的に歌い、それによって事柄を連想させる歌。

ただこと歌 

物にたとえないで、直接的に詠んだ歌。

紀貫之漢詩の六義のに相当すると言っている。

祝い歌 

「めでたい」と祝いことほぐ歌。頌歌

 

 

うーむ……

 

私は「数え歌」と「ただこと歌」の所に何だかモヤモヤしたものを感じてしまうのですが……

(どっちかと言うと「ただこと歌」の方がに近くないですか?)

 

とりあえず、こんな感じになっているんだそうです。(-_-;)

 

  ----------------

 

そして

ややこしい事には

 それらの六義とは別に

 

漢字の成立とその使用法についての六つの区別を言う

象形・指事・会意

形声・転注・仮借

といった

 

【漢字の六義】

というものがあるんです。

 

これは六書(りくしょ)とも言い

どちらかというと、そちらの方が通りが良いような感じになっています。

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漢字の六義(六書) 、内容はこのようになっております。

 

象形(しょうけい) 

ものの形を表した漢字 など

指事(しじ) 

抽象概念的なものを点や線を使い表した漢字 など

会意(かいい) 

二つ以上の文字を合わせて意味を表した漢字 木と木を合わせてなど

形声(けいせい)

音を表す部分と意味を表す部分を組み合わせた漢字 

非(ヒという音)と心(こころという意味)を合わせて

さんずい(みずの意味)と工(コウという音)を合わせてなど

転注(てんちゅう) 

元の意味が次第に他の意味で使われるようになった漢字

音楽の(がく)が「音楽を聴くと楽しい」といった所から「たのしい」になっていった類 

※諸説あり未だ定説はない

仮借(かしゃ) 

ある言葉を表すときに、音が同じ(もしくは近い)漢字を、元の意味や形とは無関係に音だけを借りて使っているうち、借りた方の言葉として定着してしまったもの 

「まめ=荳(トウ)」を表わすために「豆(トウ)」(本来は高脚の食器である高坏の意味)を使っているうちに「まめ=豆」として定着してしまった類

 

 ----------------

さらにややこしい事に

「漢字の六書(六義)」と言う場合

 

大篆・小篆・八分

隷書・行書・草書

という

漢字の六つの書体を表す

 

【漢字の六体(りくたい)】

だったりする事もあるので要注意です。

 

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漢字の六体は以下のようになっております。

 

大篆(だいてん)

東周時代に使われていた複雑な書体

小篆(しょうてん)

秦になってから作られた大篆を簡略化した書体

 

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「清」という字の大篆と小篆

八分(はっぷん) 

漢隷とも言われる装飾的な隷書の一種。横画の終筆を右に跳ね上げる

隷書(れいしょ)

小篆が簡略化されたもの。のち、ここから楷書が生まれる

 

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行書

楷書をやや崩した書体

草書

行書をさらに崩して点画を略し、曲線を多くしたもの ※別の説もあり

 

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漢字の六体にはこれ以外にも

別バージョンがあり

 

そちらは

古文・奇字・篆書

隷書・繆篆・虫書

と、なっております。

 

古文 

秦以前の儒家のテキストに使われていた書体

奇字

古文に似ているけれども違うもの

篆書

印章などに使われている、秦以前の書体

隷書

楷書に近いカッチリした書体

繆篆(びゅうてん)

四角い印章に合う四角い篆書

虫書

蟲篆・鳥蟲書とも言う、曲がりくねった装飾的な書体

 

 ----------------

 そして

さらにややこしい事に

 

この「六体(りくたい)」という言葉を

「六体(ろくたい)」と読みかえて

 

長歌・短歌・旋頭歌

混本歌・折句・沓冠

など

和歌の形式のことを言う

 

【和歌の六体(ろくたい)】

なんてものまで

あったりします。

 

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和歌の六体

このようになっております。

 

長歌

五音・七音を3回以上くりかえし七音で終わる歌

短歌

五・七・五・七・七の歌

旋頭歌(せどうか)

五・七・七・五・七・七の歌

混本歌(こんぽんか) 

実態は不明 

旋頭歌に似たようなものだとか

五・七・五・七形式の歌だとかいう説がある

 

折句(おりく) 

各句の初めに1文字ずつ置いて物の名前などを詠みこんだもの。

(例)

らごろもつつ慣れにしましあれば

るばるきぬるびをしぞ思ふ

(五文字合わせてかきつばた)

 

沓冠(くつかぶり・くつかむり・くつこうぶり) 

折句の一種でもっと凝ったもの。

各句の上と下に字を置いて意味を持たせる技巧。

逢坂も(ふさか) 果ては行き来の(てはいきき) 関もゐず(きもゐ) 尋ねて訪ひ来(ずねてとひ) 来なば帰さじ(なばかえさ)

各句の上から一文字ずつ取って

あはせたき

各句の下から一文字ずつ取って

ものすこし

つまり、ここに現れたるメッセージは

合薫物(あわせたきもの)少し(持ってきてほしい)」

 

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な~るほど〜。

 

----------------

 

 ところが

 

実は

先に述べた「和歌の六義(紀貫之が提唱したもの)も

「和歌の六体と言われることがあるんです……( ;∀;)

 

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「なにそれ!?」「ややこしいな~、もう」

 

ですから

これまでの所をまとめてみますと

このようになります。

 

六義(りくぎ)には

漢詩、和歌、漢字のものがある。

 

そのうち

和歌の六義というのは

六体(ろくたい)という場合もある紀貫之が提唱した和歌の六つの形式

     

漢字の六義というのは

六書(りくしょ)と言われることが多い漢字の六つの成り立ち

 

そして

漢字の六書という場合

前述した「漢字の六つの成り立ち」以外にも

六体(りくたい)と言われる漢字の六つの書体の意味がある。(※2パターンある)

 

そして

それとは別個にもう一つあるのが

 

和歌の六体(ろくたい)……和歌の六つの形式

 

という事になります。

 

 

 いかがでしょう……?

 

……おわかりいただけたでしょうか?

 

どうにかこうにか、整理してはみましたが

やっぱりもう、何が何やらグチャグチャで

 

私には到底、覚えられそうにもありません……。(-_-;)

 

 

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わーい!!



 

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 四霊と四神の違いもヤヤコシイですよね……。

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「乎」と言う字について調べてみました。

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 こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

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台風スウェル

台風スウェル

 

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吉川英治「剣難女難」~娯楽小説のお手本とも言うべき面白さ!

今回は

私が一番好きな小説家であり

心のお師匠様でもあります

吉川英治大正14年の作品

「剣難女難」

のご紹介をさせていただきます。

 

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小学生の頃から文学好きで

自作の文章や俳句などを熱心に投稿していた吉川英治

初めて小説を書いて送り、当選を果たしたのは

14歳の時。明治39年)

 

高嶋米峰主催の「学生文壇」という雑誌に送った「浮寝鳥」でした。

 

その後

吉川雉子郎という筆名で柳家として活動していた彼は

 

大正3(1914)年

22歳「江の島物語」「講談倶楽部」に送り

1等に選ばれ、賞金10円を獲得。

(現代の貨幣価値で言うと1万円くらい)

 

大正10(1921)年

29歳の時には、講談社少年倶楽部」「面白倶楽部」「講談倶楽部」という3誌に小説を送り

 

「でこぼこ花瓶」「馬に狐を乗せ物語」1等「縄帯平八」3等に選ばれ

3作合わせて700円もの賞金を獲得しました。

(この賞金は母の葬儀代になりました)

 

大正11(1922)年に入社した東京毎夕新聞社では

社命により新聞小説親鸞記」を連載。

(この頃、倉田百三の「出家とその弟子」のヒットを契機に、世間では親鸞ブームが起こっていたんです)

 

親鸞記」は翌年、本として刊行されたものの

著者名は「?」という事で伏せられていました。

 

────と

 

これほどの文才に恵まれながら

このあたりまでの彼は

小説には川柳以上の思い入れを持っていなかったようなのですが

 

大正12(1923)年 

関東大震災で社屋が消失。

 

新聞が休刊となったのを機に、

「小説家としてやっていこう!」

と決意します。(31歳)

(その後、北信濃角間温泉に籠って執筆に専念)

 

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大正13(1924)年

32歳の彼は

講談社から出ているさまざまな雑誌に

吉川雉子郎、杉田玄八、朝山李四、望月十三七、中條仙太郎、不語仙亭などなど

色々な筆名を使って、猛烈な勢いで小説を書きまくりました。

 

でも、この時点ではまだ

作家「吉川英治は誕生していないんです。

 

吉川英治という筆名が初めて使われたのは

大正14(1925)年

 

1月に創刊された

講談社「キング」に連載された

「剣難女難」

「面白倶楽部」(こちらも講談社)に連載された

「坂東侠客陣」

 

この2つの作品です。

 

「キング」創刊にあたって編集次長の広瀬照太郎から

「社運をかけて出す雑誌に長編を書く作家が、逃げ腰の匿名でどうする。本名を用いなさい」

と言われ、本名を名乗ることにしたのですが

 

本名の「英(ひでつぐ)」「英誤植されてしまい

しかし、却ってそれが気に入ったために

 

吉川英治という筆名を名乗る事になったそうですよ。

(瓢箪から駒みたいな話ですね~)

 

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吉川英治」としてのデビュー作として位置づけられる本作

「剣難女難」ですが

 

事実上

これ以前にも多数の作品を生み出していますので

 

当然ながら

文章にも構成にも、拙い部分などは微塵も見当たらず

 

完璧なまでに安定の面白さでありました。

 

さすがは吉川先生

お見事です!!

というより他はありません。<(_ _)>

 

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内容

ネタバレしないように気を付けながらお伝えしますと

このようになります。

 

---------------

 

松平家が治める福知山藩(善玉)京極家が治める宮津藩(悪玉)は

事あるごとに武芸面で張り合う

熾烈なライバル同士だった。

 

剣術の試合で福知山藩代表として戦った春日重蔵(町の剣道場の先生・主人公の兄)が

京極家の助っ人として急遽出場することになった剣豪・鐘巻自斎(←この人自身はとても良い人)に打ち込まれ

脚を砕かれてしまった所から話が始まる。

 

「ヤーイ、ヤーイ」

とばかり調子に乗って愚弄してくる宮津藩藩士たち。

ぐぬぬぬ、畜生~!」

と悔し涙を飲み、歯ぎしりをする福知山藩の面々。

 

足が不自由になったため、道場の先生を廃業せざるを得なくなった春日重蔵は悔しさと失意に暮れている。

彼の周りの人々と福知山藩内の人々の目は、一斉にその弟、新九郎へと向けられた。

 

「こうなったら弟の新九郎殿こそが先生の仇を討つべく、鐘巻自斎から一本取るべきなのでは!?」

 

しかし、その新九郎は、なよなよとした蝶の化身のような美少年で、剣術など大嫌いと言う軟弱者

 

そんな新九郎が

兄や周囲の人々、初恋の彼女などからの強烈過ぎる圧力により、

いっぱしの剣士となって鐘巻自斎を負かすべく

武者修行の旅に出る事になる────

 

---------------

 

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新九郎は健気にも

「立派な剣士になって兄の敵を討つぞ」

と決意するのですが

 

生来が軟派な性質なので

ともすると、すぐにグダグダになりがち。

 

ところが

新九郎がグダグダになるたびに掛かってくる

兄上や周囲の人々からのがものスゴイんです。

 

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「正直ツライ……」

「うわぁぁ~……、ここでこんな風に来られちゃったら、こりゃ~逃げられないわ……」

と、ちょっと同情するような気持ちになってしまいます。( ;∀;)

 

さらに

超絶美青年である新九郎は、非常に女性にモテるため

行く先々で女難にあってしまいます。

(イケメン人生というのも善し悪しですねぇ)

 

彼を誘惑しに出て来る女性達というのが

これまた

強烈な悪女たち。

 

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年上の美女たちがまるで女郎蜘蛛のように

新九郎を絡め取って

腑抜けにしようとしてきます。

 

何が何でも鐘巻自斎に勝たなければ

世間様に顔向けできない

 

そんな状況に追い込まれてしまった新九郎を

 絶えず襲ってくる

剣難!そして女難!

 

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ちなみに

本作品に出て来るカッコイイ剣豪

鐘巻自斎

 

彼は実在の人物なのですが

 

一刀流剣術の伊東一刀斎(戦国~江戸初期の人)の師であり

佐々木小次郎のお師匠様であるとも言われています。

 

なので実際は

本作の舞台となっている

4代将軍家綱の治世(1651-1680)よりも

ずっと前の人だったりします。

 

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直木三十五「大衆文芸作法」の中で

大衆に受ける小説

剣戟恋愛がポイント」

と語っているのですが

 

この作品はまさに

そのツボバッチリ押さえています。

(まさにウケる大衆小説のお手本のような作品!)

 

(直木三十五「大衆文芸作法」の記事はコチラです)

todawara.hatenablog.com

 

でも、吉川英治がこの物語を書いた時にあったものは

 たぶん受け狙いの計算と言うよりは

 

まず

自分が一番に楽しんでいるというような

天性の空想力だったんじゃないかな~と思います。 

 

吉川英治は幼い頃から空想力が大変に強く

戦争中の防空壕の中でも空想に耽っていたというくらい

 

いつでもどこでもトリップできてしまう性格だったらしいですよ。

(うらやましい~)

 

ご子息の吉川英明さんがお書きになった

「父 吉川英治の中にも

こんなエピソードが紹介されています。

 

ある人がある時、父に、

「もし無人島で、一人で過ごすとして、一冊の本を持っていくとしたら、何にしますか」

と訊ねると、父は、

「僕は何も持って行かない。頭の中で物語を創ってそれを読む」

と答えたという。

この言葉どおり、机に向かっていない時でも、あれこれと空想の翼をひろげているのは、父にとって、こよない楽しみだったらしい。

「僕は退屈ということを知らないよ」

ともよく言っていた。

 

「剣難女難」の物語からは

心の赴くままに伸び伸びと想像の筆を走らせているような

生き生きとした躍動感が伝わってきます。

 

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「日本一面白い、日本一為になる、日本一安い」

という謳い文句で大人気となった

雑誌「キング」

 

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「キング」創刊号の表紙 (※イメージ)

 

「剣難女難」

そこで圧倒的な人気を博し

吉川英治は一躍

流行作家の仲間入りを果たします。

 

さらに翌年

大正15(1926)年8月から「大阪毎日新聞で連載を始めた

鳴門秘帖

超絶大ヒットにより

 

吉川英治

大衆小説作家界でのスター的な地位を

確固たるものにしたのでした。

 

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剣難女難 (吉川英治歴史時代文庫)

剣難女難 (吉川英治歴史時代文庫)

  • 作者:吉川 英治
  • 発売日: 1990/09/04
  • メディア: 文庫
 

 

 

 

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吉川英治のもの凄さ

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 「鳴門秘帖」について

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 「草思堂随筆」から「大坂のサカの字についての疑問」

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 吉川英治の詩歌のご紹介

todawara.hatenablog.com

 

 

 

 

 

こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

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台風スウェル

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