TODAWARABLOG

戸田蕨です。小説書いてます。よろしくお願いします。

川上未映子さん「黄色い家」(読売新聞朝刊連載小説)の感想。

読売新聞朝刊紙上で連載されていた

川上未映子さんの「黄色い家」先日、完結しました。

 

毎日、ハラハラドキドキ、固唾を飲みながら楽しみに読んでおりましたので

終わってしまった今、なんだか虚脱感のようなものがあります。

 

 

物語は

主人公であるの語りで綴られています。

 

ある日の事

彼女は数十年間音信不通であった年上の知人・黄美子さん

「自宅に若い女性を監禁していた」

という容疑で逮捕された───

そんな事件報道を目にして、激しく動揺します。

 

そこから回想される

二十数年前の日々───

 

水商売のシングルマザーの元で、半ば放置気味に育てられていた幼い頃の

ある日突然目の前に現れた謎の中年女性・黄美子さんに優しくしてもらい

生まれて初めて、やすらぎのようなものを感じられるようになりました。

 

その後すっかり黄美子さんに懐いた花は

色々な経緯があって、彼女と一緒に暮らすことになるのですが

 

そこで一体、どんな事があったのか?

 

黄美子さんは、一体どういう人だったのか?

 

後年、彼女が監禁容疑で逮捕されるという事がわかっているだけに

そのあたりへの興味が非常に大きな吸引力となって

思わず知らず、物語世界にグイグイと引き込こまれてしまいます。

 

 

連載中は、とにかく

この後、一体どうなるの!?

というのが

毎日、気になって仕方がありませんでした。(^^;)

 

まるで自分が花と同一化したかのように

彼女と一緒に悲しくなったり、嬉しくなったり、不安になったり。

 

川上未映子さんは

感情描写と言うか心理描写と言うか

を描くのが恐ろしいほど巧い!

 

人間心理の、ものっすご〜く深い所まで突っ込んで、鋭くグリグリ抉り込んでくるような花の独白には、凄絶なものがありました。

 

ひしひしと迫る心理描写

作品世界のリアルな空気感

───といったあたりもすごいんですけど

 

物語の内容的にも

色々とあれこれ思いを巡らせたくなってしまうような

大変に深みのある素晴らしい作品でした!

 

 

花が体験していく事の中には

かなり犯罪臭の強い、異常な事があったりもするのですが

 

その時々の彼女の心境自体は

私たちが普段、友達や仕事に対して思っているようなものに、すごく近かったりして

「ああ、わかるよ。その気持ち!」

なんて思っちゃうのが、なんだか不思議。

 

なんて言うか……

「普通の事」「異常な事」

意外と境界線があいまいなんだなあ……と感じたりもして。

 

一歩間違えば、犯罪方面の深みにどっぷり落ちてしまったり、凄惨な事態が引き起こされることになりかねないんだけれども

ギリギリの所で、かろうじて「普通の人」の括りに留まっている───

 

精神的や環境的に

そういう所にいる人って

実はものすごく多いのかも知れませんね……。

(パッと見にはわからないだけで)

 

 

花から見た黄美子さんの印象は

年月とともに微妙に変化していきます。

また

他の人から見た黄美子さん像も

花が感じるのとは若干違うものだったり……

 

確かに

人物像って、関わる人や、関わり方いかんによって、全く印象が変わってきますよね。

 

───そんな風に考えると

 

事件だとか物事真相

なんていう物は

関わった人の数だけ、それぞれに違う真実があり

三者には、容易に掴み得ない物なのかもしれませんね……。

 

 

 

 

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こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

 

 

牛車の乗り心地は結構悪い~「今昔物語集」から頼光四天王の面々が牛車で酷い目に遭った話

平安時代の貴族などが使っていた

牛車(ぎっしゃ)

という乗り物がありますよね。

 

なんとなく

まったり・のんびりしたイメージがありますが

実際の所乗り心地はどうだったんでしょう?

 

現代のようにきちんと平らに舗装されているわけではない

平安時代のボコボコ道ですので───

 

───と

 

その辺りの所が窺い知れるエピソードが

平安時代の説話集

今昔物語集にありましたので

今回はそちらのお話をご紹介しようと思います。

 

 

こちらは

今昔物語集第24巻の第56話

に収録されているお話です。

 

平安時代の中期に

源頼光(みなもとのよりみつ)という

英雄的な武人がおりました。

 

清和源氏の三代目にあたり

摂津源氏の祖でもある頼光は

時の権力者藤原道長に仕え、勢力を伸ばしておりました。

 

大江山にいた酒呑童子(しゅてんどうじ)という酒好きで誘拐犯な悪い鬼を退治したり

土蜘蛛という巨大な蜘蛛の化け物を退治したり

といった武勇譚のある人で

 

中世文学のなかでは

坂上田村麻呂藤原利仁藤原保昌らとともに

伝説的武人ベスト4のうちの1人とされています。

 

 



その頼光には

四天王と呼ばれる

いずれ劣らぬ剛勇な部下たちがおりました。

 

そのメンバーというのが以下の4人。

 



四天王の筆頭格嵯峨源氏の末裔

京都の一条戻り橋の上で茨木童子(酒呑童子の子分の鬼)の腕を切り落としたことがあるイケメン武者の

渡辺綱(わたなべのつな)

 

 

弓の名手。糸で下げた針をも射ることが出来てしまう。

川で産女(うぶめ)という女妖怪に出会ったこともある

卜部季武(うらべのすえたけ)

※平季武(たいらのすえたけ)ともいう

 

四万温泉を発見したり、碓氷峠で巨大蛇を退治をしたり、足柄山で金太郎をスカウトしてきたりした

碓井貞光(うすいさだみつ)

※平貞道(たいらのさだみち)ともいう

 

幼い頃は金太郎として山で熊と相撲の稽古。

その赤ら顔にちなんで、えんじ色の食べ物が「金時」と呼ばれるようになり(例・宇治金時)、息子の金平(かねひら)は「金平(きんぴら)ごぼう」の語源にもなっている

坂田金時(さかたのきんとき)

 

 

先にお話ししました

酒吞童子土蜘蛛などといった化け物

源頼光はこの部下たちと力を合わせて退治しております。

 

 

 

───で

 

今昔物語集」第24巻・第56話のお話に出て来るのは

この四天王の中から渡辺綱を除いた

 

卜部季武(平季武)

碓井貞光(平貞道)

坂田金時

御三方となっております。

 

 

いずれも堂々としたルックスは申し分なく

武芸に優れ、胆力も知力も思慮深さも兼ね備えた

非常に立派な勇士たち。

 

そんな三人が

ある年の四月

 

賀茂神社の祭礼の二日目に大行列が行われるんですが、それを

「われらも見に行こうじゃないか ♪」

って事で、盛り上がっていたんです。

 

 

「でもなあ、馬で連れ立って行くってのも、なんだか無骨すぎて野暮ったいし、顔を隠して歩いて行くってのもダサいし……。さて、どうしたらよかろう?」

 

「俺が知り合いの坊さんから牛車借りて来るよ。それで行ったら良いべ!」

 

「いやいやいや。俺ら風情が牛車なんか乗って、途中でお偉い殿上人なんかに出くわしてみ?武士風情が無礼千万!とかなんとかイチャモン付けられて引きずり降ろされかねないぞ。あげく、蹴り殺されでもしたらとんだ犬死にだぜ」

 

そうだ!牛車の内側に絹の布を垂らして、いかにも女車です~♡って感じにして見物したらいいんじゃないか?」

 

「おお、そいつは名案だ!」

 

ということで

 

早速知り合いの僧侶から牛車を借りて来て

簾の内側に目隠しの布を垂らし

ヨレヨレの水干&袴姿で乗り込んだ三人でありました。

 

自分達の袖などは外に出さないように、極力気を付けたので

見た目だけはなんだかちょっと

奥ゆかしい女車みたいに見えたのでありました。

 

 

さあ、いよいよ

行列を見物するために

紫野(京都市北区)へGO!

 

ところが

 

なにせ三人とも牛車に乗るのは初めてだったので

この後、大変な騒ぎとなってしまいました。

 

実は

牛車に乗る時には

左右の横板に付けられた窪みの部分を握って、体を安定させなければならないのですが

 

そんな事は全く知らない面々ですので

牛車の中でゴロンゴロンゴロンゴロン転げまわってしまいました。

 

 

横板に頭をしこたまぶつけたり

お互いにゴッツンゴッツンぶつかり合って仰向けにひっくり返ったり

うつむいて目をグルグル回したり……

 

そんな風に

車の中でさんざん揺さぶられているうちに

三人はもう完全に車酔い。

 

出入口の踏み板にゲーゲー吐くわ

烏帽子も落とすわという

惨憺たる有様。

 

 

しかも車を引いている

体力抜群のツワモノだったもんですから

ぐわらんぐわらん

車は速度を増して進んでいきます。

 



 


「そったら速ぐ行ぐんじゃねぇ~!」

 

東国なまり丸出しで叫ぶ、その大騒ぎを聞いて

後からついてきている他の車の人々や、そのお供たちは

 

「あの女車に乗ってるのは、どんな女房なんだろう?まるで東国の雁が鳴き合っているように騒がしいなあ。……いやしかし変な車だね。東国の娘たちなのかな?……声は男みたいに野太いけど」

 

怪しむことしきりです。

 

 

そうこうしているうち

やっとのことで紫野へ到着

 

ところが

着いたのがいささか早すぎて

行列が来るまでには、まだまだだいぶ時間がありました。

 

車酔いですっかり参ってしまっていた三人は

尻を持ち上げる変な姿勢でうつぶせに臥せったまま

いつのまにか眠り込んでしまいました……。

 

 

やがて

きらきらと美しく飾りたてた祭りの行列が賑々しくやってきます。

 

ところが

三人の武士たちはぐっすりと眠り込んでしまっていたために、それには全然気が付かないまま

行列は通り過ぎて行ってしまいました……。

 

 

見物を終えた周囲の車が帰り支度を始める物音で、三人はようやく目を覚ましました。

 

けれども

相変わらず具合は悪いままだし

行列は見過ごしてしまったし

腹が立つやら悔しいやらで

気分は最悪。

 

「これでまた帰り道で猛スピード出された日にゃ、とても生きて帰れる気がしねえ。

千人の敵のまっただ中に馬で飛び込む、なんてのはへっちゃらだけど、貧乏くせえ牛飼い童一人にこんな酷ぇ目に遭わされるなんて、堪ったもんじゃねえ。

このまま他の連中がすっかりいなくなるまで待っていて、人がいなくなったら、牛車を降りて歩いて帰るべ」

 

こうして彼らは

周囲に人気の無くなったあと、車だけを先に帰し

烏帽子を鼻先までズリ下げた上で、扇で顔を隠し

スゴスゴと頼光公の屋敷まで歩いて帰ったのでありました。

 

後日

季武はこんな風に話していたそうです。

 

「どんなに勇敢な武者だって牛車には敵わんよ。

もうあの一件ですっかり懲りたから、俺はもう牛車の近くには一歩たりとも近づかないようにしてるんだ」

 

いやはや……。

 

勇気や思慮分別を兼ね備えた立派なお侍さん方でも

一度も乗ったことが無い牛車に乗ったら

こんなに悲惨な事になるんですね。

 

 

───となむ

語り伝へたるとや。

 

平安時代末期に成立したと考えられる「今昔物語集」ですが、編者はわかっておりません。仏教界にいた人なのではないかとか、宇治大納言源隆国とか、その子の鳥羽僧正だとか、その編者には色々な説がささやかれています。

 

 

 

 

 

 

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こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

 

 

ハイネのロマンチックで素敵な詩のご紹介

今回は

愛と革命の抒情詩人

ハインリヒ・ハイネ(1797-1856)の詩の中から

私が特に「素敵だな」と思うものをご紹介いたします。

 

 

ハイネと言いますと

 

「♪ 春を愛する人は ~」で知られる

『四季の歌』(作詞・作曲 荒木とよひさ)

という歌の中で

愛を語るハイネのような僕の恋人」

と歌われている事から

 

なんとなく

ロマンチックな感じの詩人なんだろうな……

というイメージを抱かれている方が多いのではないか、と思いますが

 

まさしくそのとおり

とっても甘美幻想的うっとりしてしまうような作風ですので

 

メロメロにロマンチックな気分に浸りきりたい時などには

彼の詩は大変お薦めかと思います。(^_^)

 

ということで、まずは

「月空にさし登り」

「炉辺の詩」

の二篇からご紹介いたしましょう。

 

こちらの翻訳者は

詩人で文学者の片山敏彦(1898-1961)です。

 

 

月空にさし登り

 

 

月空にさし登り

波の面(も)にあまねく照れり。

われ君に寄り添いて

君とわれ心波立つ。

なつかしき腕(かいな)にもたれ

わが憩(いこ)う浜に人居ず。

「吹く風に何の聞ゆる?何ゆえに

君が白き手のかくもふるえる?」

 

「吹く風の音(おと)にはあらじ。

人魚らが波に歌えり。

わだつみに呑(の)まれて死にし

わが姉ら人魚と成りて歌えるなり」

 

 

最後のほう

「そう来るか~!」

って感じですよね……。(◎_◎;)

 

ロマンチックでありながら、もの哀しく、なんか怖い……。

いろいろと物語を空想させられるような詩です。

 

 

炉辺の詩

 

 

外には夜目に白々と雪の羽毛が飛んでいる。

はげしい風が吹いている。

だが室内は空気が乾いて

暖かくしずかな、したしい気持ち。

 

肘掛椅子に身を投げて、わたしは想いに耽っている。

ぱちぱち燃える古い炉ばた。

煮える湯のつぶやきを聴いていると

忘れていた昔の歌を、それが歌っているかのよう。

 

そして一匹の子猫が脇にすわって

足先を火で温めている。

炎が揺れるさまを見つめていると

うっとりとした気持ちになる。

 

ほのぼのと明るみながら見えてくる

遠い昔のさまざまなもののすがた、

とりどりな仮面仮装の

色褪せたきらびやかさを見せながら。

 

聡明な顔(かん)ばせの美しい婦人たちが

神秘に優しく、私に目くばせをする。

そしてそのあいだに立ち交って

道化者(アルルカン)らが陽気にはねたり笑ったり。

 

はるばるとわたしに挨拶をするギリシャの神々の大理石像。

それらの脇には夢のように

物語(メールヒェン)の花々が咲いていて、

その花びらが月の光に照らされて揺れる。

 

また、揺れて漂うて来るのは

数々の古い魔法の城、

そのうしろから馬に騎(の)って追(つ)いて来る

立派な騎士と従者たち。

 

誰も彼も急いで通過する、通過する、

まぼろしの行列───

おや! 湯が煮えこぼれたぞ、

こぼれた湯がはねて、悲鳴をあげる子猫。

 

 

 

炎を見つめながら空想している幻想世界のきらびやかさ。

そこから一転、現実世界に引き戻されるところが、可笑しくも可愛らしい詩です。

ニャンコに怪我が無かったらいいですね。(^^;)

 

 

1797年(日本は江戸時代の寛政9年)

ドイツのデュッセルドルフ

ユダヤ商人の子ハリー・ハイネ(Harry Heine)として生まれた彼は

 

ユダヤ人であることや

「ハリー」という名が、何だかイギリス人みたいだということで

少年時代にはからかわれたりした事もあったそうです。

 

そんなこともあってか

27歳の時に名前をハリーからハインリヒ(Heinrich)に改め

同時に信仰の方も

ユダヤ教からプロテスタントに改宗したりしています。

 

 

ロマンチックな作風で人気の高いハイネですが

実は、彼は社会問題にも大変関心が深く

「自由と解放の詩人」

と呼ばれるような側面も持っているんですよ。

 

そのため

ハイネの本は1835年

ドイツ語圏において全てが発禁処分にされてしまったことがあります。

 

そんな息苦しいドイツから

彼は1831年出国し

フランス・パリに移住して一生を終えています。

 

 

お次にご紹介しますのは

1844年

シレジア(現在はポーランド領)の地で起こった

貧しい織物工たちの労働蜂起を歌った詩です。

 

これは、ドイツで最初の大規模労働蜂起だったのですが

軍の発砲により鎮圧されてしまい

そのことに対する激烈な憤りを歌ったものです。

 

こちらの詩はドイツ文学者で俳人檜山哲彦さんの翻訳となります。

 

 

 

シレジアの職工

 

 

暗い眼に涙なく

みなは機(はた)に就いて歯をむき出す

老いぼれドイツよ、俺たちが織るのはおまえの死装束

三重(みえ)の呪いを織り込んでやる───

織る、俺たちは織る!

 

ひとつの呪いは神に

飢えと寒さに責められて祈りをささげた神に

望みをかけて俺たちは待ちに待ったが

さんざからかったあげくあいつはあざむいた───

織る、俺たちは織る!

 

ひとつの呪いは王に、邦々(くにぐに)をたばねる王に

この苦しみを知りながら心やわらげもせず

さいごの小銭までむしりとり

俺たちを犬のように射(う)たせる王に───

織る、俺たちは織る!

 

ひとつの呪いは腹黒い祖国に

うすぎたない恥ばかりはびこり

時いたらぬうちに花は手折(たお)られ

腐敗が蛆(うじ)をふとらせる国───

織る、俺たちは織る!

 

杼(ひ)は飛び、機(はた)はとどろき

俺たちは日に夜をついで織り続ける───

老いぼれドイツよ、織るのはおまえの死装束

三重の呪いを織り込んでやる

織る、俺たちは織る!

 

 

「三重(みえ)の呪いを織り込んでやる」

と怒りの矛先を向けられている

「神」「国王」「祖国」

 

これは、かつて

プロイセン(ドイツ)がナポレオンからの解放戦争の時に掲げた愛国スローガン

「神と共に国王と祖国のために」

にちなんでいます。

 

そのような美辞麗句で煽り立て、祖国のために戦わせてきた国民に対し

今お前たちは平気で銃口を向けるのか!

───という悲憤ですね。

 

 

ハイネの本は受難が多くて

その死からずっと後年になるナチス政権下には

ユダヤ人の作品だ」

ということで焚書され

禁書の対象とされてしまいました……。(T_T)

 

しかし

 

すでにドイツの人々にとって馴染み深い唱歌となっていた

ローレライだけは「作詞者不詳」ということで

ドイツ国内で出版される本にも載せられ続けていたんだそうです。

 

 

ローレライ

ドイツのライン川に伝わる伝説をうたった作品です。

 

ライン川の中ほどに

ローレライという岩山があるのですが

 

この岩の近くを船が通りかかった時

岩の上からうっとりとするような乙女(=精霊)の美しい歌声が聴こえてくるそうです。

 

そこで

歌声に心奪われてしまった水夫が

舵取りもおろそかにボンヤリしている間

 

船が事故を起こして沈没してしまう……


───そんな言い伝えがあるんだそうですよ。

 

 

こちらがその

唱歌ローレライ

 

作曲フリードリヒ・ジルヒャー

日本語の訳詞近藤朔風

 

日本では明治時代から広く親しまれ、合唱などでよく歌われています。

 


www.youtube.com

 

そしてこちらが

片山敏彦訳によるローレライとなります。

 

ローレライ

 

 

わが心かく愁(うれ)わしき

その故(ゆえ)をみずから知らず。

いと古き世の物語、

わが思うこと繁(しげ)し。

 

夕さりて風はすずしく

靜かなりライン河

沈む日の夕映に

山の端(は)は照りはえつ。

 

巌(いわお)の上(え)にすわれるは

うるわしき乙女かな。

こんじきに宝石(いし)はきらめき、

こんじきの髪梳(す)く乙女。

 

 

金の櫛、髪を梳きつつ、

歌うたうその乙女。

聞ゆるは、くすしく強き

力もつその歌のふし。

 

小舟やる舟びとは

歌聞きて悲しさ迫り、

思わずも仰ぎ眺めつ。

乗り上ぐる岩も気づかず。

 

舟びとよ、心ゆるすな、

河波に呑まれ果てなん。

されどああ歌の強さよ、

甲斐あらず舟は沈みぬ。

 

 

 

魔性の乙女が

清楚系の美少女っぽいところ

歌の曲調が

やけに明るく爽やかなところ

 

そんなところが、かえって

ラストシーンの残酷さを引き立たせているような気がします……。(+_+;))

 

 

 



 

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こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

 

 

「魯山人陶説」~北大路魯山人の美意識や芸術観が窺える名著!

今回は

美食の芸術家・北大路魯山人(1883-1959)の

陶器にまつわる講演や随筆などを

彼に師事していた平野雅章さん(1931-2008)がとりまとめた本

魯山人陶説」のご紹介をいたします。

 

 

大変な美食家で自らも料理を良く手掛けた芸術家(書家・画家・篆刻家・陶芸家)の北大路魯山人

料理を引き立たせるために欠かせないにも、並々ならぬこだわりがあり

 

昭和2(1927)年

44歳にして、ついには自らそれを作り出すようになりました。

 

手本としたのは

彼自身が

「これが好きだ!」

と惚れ込んでいる

安土桃山~江戸時代初期古陶や自然の風物。

 

そうして作り出された彼の作品が、この本の冒頭に写真で紹介されているのですが

 

魯山人が作った陶器は

天真爛漫で無造作でノビノビとした風情があって

「ああ、良いなあ……」

と感じるところがありました。

 

 

それにしても

この本を読んで驚いてしまったのが

彼の自信満々っぷりですよ……。

 

自分の美的感覚、良い物を見出す目に

絶対的な自信があるんでしょうね。

 

自分が「好きだ」「良い」と思う古陶の

「これの、この部分の、こういう所にグッとくるんだ」

と感じる

自分のそのセンスには揺らぎが無い。

だから

自分の作品はそれに近づけて行けば間違いない。

 

 

彼の陶器製作はその後、終生続いていくのですが

 

まだまだキャリアの浅い時分から

自分よりよっぽど長く作陶を続けている陶芸家を

遠慮無しにズバズバ辛口批評しまくっているのには

「うわぁぁ…………」

いささか、たじろいでしまう所がありました。

 

後年、人間国宝にも推挙され、辞退したほどのすごい陶芸家である

河井寛次郎(1890-1966)に対しても

彼はこんな事を言っています。

 

今年も高島屋であなたの陶器展を見せてもらいました。あなたは会場におられなかったようでした。

また例の病いを出して頭ごなしに言うわけではありませんが、あなたの作陶は土の仕事がまずいですね。高台などと来るとまるで成っていませんよ。

 

河井寛次郎氏の個展を観る」(昭和8年)より

 

おそらく

河井氏を認めているからこその「愛の鞭」だとは思いますが

それにしてもキツイ……。(+_+;))

 

それ以外にも

他の陶芸家連に対して、こんな辛口コメントを……。

 

芸術家ぶってはいるが、本当の芸術家と言える者が幾人あるだろうか。

殊にやきものの世界に、芸術みたいなものを作っているが、芸術作品は少ない。芸術というのは、いつも言うように人間の反映だ。

形以外のもの、肉眼では見えないものが作品に籠っていなければダメだ。これは並みの人では作られるものでないだろう。

今のように作家とは言えないような人が、一人前の顔をしているときには、なおさらのことだ。

作るものも鑑賞家も、もっと心眼鏡を研ぎすますことだ。いいものは直感でピーンとくる。人間を造ることが第一だね。

 

「愛陶語録」より

 

 

 

こんな事をズバズバと言ってしまって

根に持たれたり、嫌われたりしないんでしょうか!?

普通の人なら、心配になっちゃう所ですよね。(-_-;)

 

青山二郎『鎌倉文士骨董奇譚』の中にある

北大路魯山人」と題された随筆には

このように書かれておりました。

 

魯山人を嫌う人間は多い。

魯山人を識っている私の友達は、今までに大概喧嘩別れになっている。

 

やっぱり嫌われていたか~。

 

 

とはいうものの

 

魯山人、決して間違った事は言ってないと思います。

思った事を真っ正直に、ストレートに言っちゃってるだけで。

 

オブラートに包むような、婉曲的な言い方が出来ない人なんですね。

京都人なのに……。(^_^;)

 

 

日常生活に雅とか美とかを弁え、それを取り入れて楽しめる者は、たとえ貧乏暮らしであっても金持ち性と言えよう。その心の底にはゆとりがある。

金持ちであっても、貧乏性だと言われるたちの人柄に比ぶれば、随分幸福ものと言えよう。

能く言うところの心の富者である。

 

「雅美ということ」より

 

 

この魯山人陶説」という本には

小説などを書いている私にとっても

なるほどと納得できるような

勉強になる言葉が、非常にたくさん収録されておりました。

 

生前の彼の性格は、たいへんに付き合いづらかったようですが

魯山人の文章も陶器も

意外なほど親しみやすい印象で

 

それはあたかも

自分の姿を実際以上に良く見せよう──なんて事は一切考えない

彼の純粋性だとか

正直さの表れであるように、私には感じられました。

 

 



 

 

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こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

 

 

ドストエフスキー「白夜」~ 超空想癖青年の淡く切ない恋物語。

今回はロシアの文豪

フョードル・ドストエフスキー(1821-1881)の短編小説

「白夜」をご紹介いたします。

 

 

こちら

 

罪と罰(1866年)

カラマーゾフの兄弟(1880年)

などの長編小説で知られる大作家ドストエフスキー

 

処女作発表から2年後の1848年

27歳の時に発表した作品なのですが

 

長さ的にも短編とあってコンパクトですし、内容的にも文章的にもかなり読みやすいので

 

ロシアの文豪の小説なんて重たそう!

───なんて気負う事も無く

 

気軽にエンタメ的に楽しめる作品だな!

という感想を抱きました。

 

 

この作品が発表された

1848年とは

どのような年かといいますと

 

日本は

幕末弘化5年───3月から嘉永元年改元されたという年であり

 

ヨーロッパでは

フランス、オーストリアハンガリーで相次いで革命が起こり

 

マルクスエンゲルス共産党宣言を発表した年でもあります。

 

───で

この「白夜」という作品はといいますと

 

そんな世界の情勢とは

ほとんど全く関係ない

 

市井の一青年に起こった

淡くほろ苦い恋の物語となっております。

 

 

内容をかいつまんで言いますと

以下のようになります

 

----------------

 

ペテルブルクに住んでいる、孤独で空想癖の強い青年が、ある白夜の晩に散歩に出ている時

運河の欄干の所で泣いている少女、ナースチェンカを見つけました。

 

彼は酔っ払いに絡まれそうになっている彼女を救い、そしてをしてしまいます。

 

─── けれども

 

彼女には、離れ離れになった恋人がいて

約束したこの時間、この場所で再会することを心待ちにしており

そのために夜も遅いこの時間、この場所(運河の欄干)に来ている、というのです。

 

その夜も、次の夜も

どういうわけか

彼女の恋人は、いつまで待っても、やっては来ませんでした。

 

「もしかして、もしかしてあの人はもう……私の事なんか……」

 

そんな風に不安になってしまう彼女を励まし、なんとか彼らの恋の仲立ちを務めようと思う主人公……。

 

─── 本当は、彼女のことが好きなのに……。

 

----------------

 

 

 

この「白夜」というお話には

「感傷的ロマン」

「ある夢想家の思い出より」

という二つの副題が付けられています。

 

たしかに

話の筋としてはロマンチックなので、あらすじだけを見ると

「ありがちな恋愛モノかな?」

なんて思われてしまいそうなのですが

 

そこはドストエフスキー

 

実は、主人公の空想癖がちょっと度を超えておりまして

相当に変わり者という印象を受けます。

 

また

ナースチェンカが一緒に暮らしているというモラハラ気味の祖母

過干渉振りがちょっと尋常じゃない感じ

 

そんな、やや不穏な空気を孕みつつ展開していく恋物語なんです。

 

 


ドストエフスキー1846年

25歳の時に中編小説「貧しき人々」小説家としてデビューしました。

 

この処女作は各所で絶賛されたものの

その後相次いで発表された

「白夜」「二重人格」などの作品は

酷評されてしまっていたそうです。

 

……厳しいですねぇ。

 

なにがどう「悪い」って言われたんでしょう……?

 

私の感想としては

結構面白かったですよ?

 

 

「白夜」は、かなり頻繁に

映画化もされているようです。

 

 

1957年 ルキノ・ヴィスコンティ監督の「白夜」

ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞

 

1971年 ロベール・ブレッソン監督の「白夜」

 

2008年 ジェームズ・グレイ監督の「トゥー・ラバーズ」も「白夜」をモチーフにしています。

 

その他にも

ソビエトやイランやインドなどなどで

たくさんの「白夜」映画が作られています。

 

 

作品が発表されてから100年以上も経っているのに

こんなにたくさん映画化されている ───

 

───そのこと自体が

この小説の魅力を物語っているんじゃないかな、と思いますよ。(^_^)

 

 



 

 

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こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

吉川英治「剣の四君子」から御子神典膳と兄弟子・善鬼の対決の話。

吉川英治

「剣の四君子(昭和17年刊)

という短編小説集の中で

 

私の心に非常に強く

印象に残っているエピソードがあります。

 

 

それは

柳生家と並んで徳川将軍家の剣術指南役となった

小野派一刀流の開祖

小野次郎右衛門忠明

 

まだ若き修行者で

御子神典膳(みこがみてんぜん)

という名であった頃の話になります。

 

長年、側に仕え、修行の旅暮らしを共にしてきた

師匠伊藤(伊東)弥五郎一刀斎から

いよいよ一刀流の極意の印可が授けられようという、その時

 

たった一人の兄弟子善鬼(ぜんき)との間で

「真剣勝負をして、勝った方に印可を授ける」

という話になり

 

白刃の抜き身で試合った結果

見事に兄弟子を斬り伏せ(善鬼は死亡)

 

印可「瓶割(かめわり)の刀」という名刀を授けられた。

 

───というエピソードなのですが

 

この話

実話をベースにしているという所から

 

師匠には師匠なりの

そして

それぞれの弟子たちには彼らなりの

各々の気持ちが痛いほどに思いやられてしまい

大変に深く印象に刻まれています。

──── ということで

 

今回は「剣の四君子から

その

御子神典膳VS兄弟子善鬼

のエピソードを

もう少し細かくご紹介したいのですが

 

ネタバレ要素多分に含んでしまうので

ご注意ください。

 

 

御子神典膳(後の小野忠明)は、房州上総(千葉県)の実家を出てから四年間

一人で剣の修行をした後

 

老剣士伊藤弥五郎一刀斎に試合を挑んで、コテンパンにうちのめされます。

 

すっかり一刀斎に心服してしまった典膳は

一生懸命に頼み込み、彼の弟子にしてもらいました。

 

当時の一刀斎は、剣の達人としてかなりの高名だったにもかかわらず

善鬼というたった一人の弟子しか、連れてはおりませんでした。

 

もう十年も一刀斎のもとにいるという

兄弟子の善鬼 ────

 

彼は元々、侍の生まれではなく

かつては川の渡し場で船頭をしていたといいます。

 

船頭だった頃の彼は、自分の腕っぷしの強さにかなりの自信を持ち

「武芸者なんて大したことねえや」

なんて風に思っていたため

 

無謀にも

自分の船に乗ろうとしていた一刀斎にチョッカイをかけて、強引に勝負を挑んだあげく

手にしていた櫂をたちまち奪われて、頭を打ち砕かれそうになり

慌てて平謝りに謝って、弟子にしてもらった

───そんな経緯があります。

 

 

はたから見ていた時には、ひたすら格好良く

尊敬と憧れの対象だった一刀斎も

 

ひとたび弟子となって間近に仕えてみると、色々な面が見えてきます。

 

大声で叱りつけられ、時には平手が飛んでくることもあります。

 

気難し屋で叱言(こごと)が多く、権力者が大嫌い。

高名を聞きつけた諸侯が招こうとしても

全く応じようともしません。

 

物や金には靡かない清廉さを持つ一方で

金銭の管理にはやたらと細かくて

無駄遣いには非常に厳しいところがあったりします。

 

伊藤弥五郎一刀斎は

そんな感じの

大変に気難し屋の頑固爺でした。

 

けれども

生真面目に精進に励む典膳は

「ひとたびこの方を師と仰いだからには」

一刀斎の言葉を一言一句、つつしんで聞き

 

決して師匠を軽く見たり、甘く見るようなことはありませんでした。

 

 

ところが

 

兄弟子の善鬼の方はどうかというと

 

師匠との付き合いが長いせいか、生来の性格が気さく過ぎるせいか

結構、要領が良いんです。

 

「おれが師匠に従ってるのは、一刀流印可がもらいたいから──ただそれだけさ。さっさと奥伝をもらって一人前の武芸者として立ちたいもんだね」

という所が彼の本音であるため

師匠に尊敬の念など、ハナから持ちあわせちゃおりません。

 

そんな彼は典膳に対しても

「おいおい、あんまり生真面目に師匠の話なんか聞いてもしょうがないぜ」

とか

「師匠だって聖人君子じゃないんだぜ。あんな顔しちゃってるけどさ~、昔は女と……(以下略)」

などと

陰で耳打ち的にアドバイス(?)してきたりするんです。

(まあ、悪い人では無いんですね)

 

そんなこんなで数年が経ち ────

 

その間に

老剣士一刀斎は、やがて、ますます老いていき

壮年となった善鬼は不遜な性格のまま、剣の実力だけをめきめき上達させていきました。

 

地道に研鑽を重ねている典膳は

師匠と兄弟子の二人を、何となく心配そうに見比べながら

お供の若党のようにして、旅を続けて行きました。

 

 

典膳が一刀斎の弟子になってから、九年目の梅雨の頃。

 

一行が江戸に着いた時、一刀斎は体調を崩し、旅籠で病みついてしまいました。

 

そこへ駿府から、徳川家で兵学師範をしている重臣北条安房が、一刀斎を見舞にやって来ました。

 

彼は病床の一刀斎に

「秀忠様の剣術指南役として、先生のお弟子の内、いずれかを御推挙いただきたいのですが……」

と頼んで帰って行きました。

 

師の病も癒え、旅が再開され

下総の国総馬郡の小金原に近い寺に泊まった夜────

 

一刀斎は典膳にこう言いました。

「善鬼と二人で話したい事があるから、おまえは席を外しておれ」

 

 

典膳のいない場での師弟の話し合いは、ちょっとした修羅場のようになっていました。

一刀斎が善鬼に向かって、こんな事を告げたからです。

 

一刀流の極意の印可は典膳にやり、彼を徳川家指南役に推挙しようと思っている」

 

馬鹿な事をおいいなさい。あまりにも、あまりにもひとを馬鹿にし過ぎている。いったいこの私のどこが悪いというのですか!

たわけ者が!訊けばわからぬほど、そなた自身が愚鈍である事にまだ気が付かぬか。一刀流の極意の印可など、断じてまだ許せぬわ。口惜しくばもっと励むが良い」

 

目の前に突如現れた徳川家指南役という超エリートコース────それをみすみす弟弟子に掻っ攫われる事になろうとは……。

 

典膳よりも十年も長く弟子を続けている善鬼。

剣の腕前にしたって、典膳よりは遥かに上だと自負しています。どうしても納得がいきません。

 

「くそっ、ばかな、……依怙贔屓にもほどがある。それなら……、先生……」

善鬼は悔しさの余り、身を震わせながら言いました。

「もし……もし私が典膳と尋常に立ち合って、一刀のもとに斬り伏せたとしたら、先生、どうされますか?」

 


次の日。

 

広々とした小金原の野道を三人で歩いている時。

一刀斎が、ふと歩みを止め、弟子達に言いました。

「ふたりとも待て。ちと、話がある」

 

 

「善鬼、昨夜のお前の希望をかなえてつかわす。ここで典膳と立ち合うが良い。

お前が勝ったらわしがここに携えておる瓶割の刀、伝書を相添えてそちに譲ろう。それを持って北条安房殿を訪れ、幕府へのご推挙を仰ぐも良し、一刀流として他に一家を構えるもよし、好きにいたせ。
典膳、突然の事であいすまぬが、善鬼の我意はわしにもどうすることもできん。

ゆえに、そなたとしては兄弟子たりとも斟酌には及ばぬ。死力を尽くして立ち合え」

 

「────聞いたか、典膳」

たすきを掛けながら善鬼が、憐れむように言いました。

 

「承りました。兄弟子ながら、白刃とあれば、御仮借はいたしかねる。── 御免」

 

「よしよし、死ぬ気でかかってまいれ。早く支度しろ」

「支度には及びません。いつでも」

「────よいと言ったな」

 

善鬼が身を斜めにして柄を握り、刀身を抜く事半ばの内に────典膳は

「いざっ!」

凄まじい気を吹きながら

一太刀振り込んでいきました。

 


善鬼はバッと後ろへ退き、さらに相手の切っ先を避けながら二度まで後ろに飛び下がり

ギラリ

────刀を引き抜きました。

 

その後は双方、相青眼────剣先をピタリと中段に構えたまま────二人の間は十歩ほど。

 

じり、じり、じり……

どちらからともなく、その距離が次第に近づいていき

二人の間が七歩、五歩、三歩となり

いよいよ剣先が触れ合うかと見えた、その時────

 

突如、一刀斎が大喝しました。

 

 

「典膳、勝ったり!そのまま瓶を割る気で、真っ二つにしてしまえっ!!」

 


その声に驚いた善鬼が心をかき乱された刹那 ────

 

彼は噴血と共に、乾竹割に斬り伏せられていました。



血刀を構えたまま呆然としている典膳に、一刀斎が言いました。

「……とどめを刺せ」

 

倒れながらもまだ手足をぴくぴくさせている兄弟子の姿に、さすがに、典膳がとどめまでは刺せないでいると

一刀斎は彼の手から刀を取り

 

「不憫なれど、所詮はこうなるように生まれついている男であった。助かる見込みも無いのなら、せめてこう致してやるのが師の慈悲よ」

 

そういって

刀の切っ先で一抉(えぐ)りし、とどめを刺しました。

 

 

「忘るるなよ、典膳。いかな上手になろうと、善鬼の如く慢じては、その終わりは必ずかくの如しじゃ。

思えば、学ぶべからざる質の者に、わが剣法を習わせたことは、わし一代の大きな過失であった。────善鬼よ、ゆるせ」

一刀斎はそう言うと、白髪まじりの髻をブツッと切り、善鬼の胸の上に投げました。

 


彼は腰に差していた名刀・瓶割の刀と伝書とをあわせて典膳に譲り

 

「今日が師弟の別れと相成った。そなたは江戸へ戻り、北条殿を訪れよ。……何、わしか?────入道一刀斎の行く先はいくらでもある。案ずるな」

 

そう言うと、追いすがる典膳を振り払い、いずこへともなく去ってしまいました。

 

以来 ────

 

伊藤弥五郎一刀斎の消息は

ふっつりと、わからなくなったそうです ────

 

 



以上が

吉川英治「剣の四君子に描かれた

御子神典膳と兄弟子善鬼のエピソードです。

 

善鬼の人柄が

剣士としての人格的素養に欠けている

というだけの

そんなに悪い人でもなかっただけに

なんだか可哀想に思えてしまう……。(T_T)

 

まあ……

人格的に未熟な人間メチャメチャ強い剣豪になんかなったりしたら

社会にとって害悪でしかない

という一刀斎の懸念も、確かに良くわかるんですけどね……。

 

それにしても

 

師匠の一刀斎にしても

厳しい指導はしながらも、弟子たちにはそれぞれ愛情を掛けていただけに、何とも切ない話です。

だって、二十年も一緒に暮らしていたんですもの。

もう、疑似親子、疑似兄弟みたいなもんでしょう…。

 

上の話は小説ですので

当然、吉川英治の空想が多分に入っているのですが

確かに。そうだったかもしれない。

と思わせるような、リアリティがありますよね。

 

 

伊藤一刀斎の弟子としては

善鬼御子神典膳(小野忠明)、この二人が良く知られているのですが

 

実は、この二人を弟子にする以前に

古藤田一刀流の祖、古藤田俊直を門弟としたこともあり、彼にも印可を授けています。

 

この本のタイトルにある

四君子(しくんし)」

というのは

竹・梅・菊・蘭

といった四種の植物草木の君子として讃えた言葉になるのですが

 

 

こちら「剣の四君子には

 

柳生石舟斎 (柳生新陰流の流祖)

林崎甚助 (居合術神夢想林崎流の流祖)

高橋泥舟 (幕末〜明治の人・自得院流の槍の達人)

小野忠明 (小野派一刀流開祖・徳川将軍家指南役)

 

以上の四剣豪の話が収録されています。

 



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「ロビン・フッドの愉快な冒険」~民衆のヒーローは出世なんかしない方が幸せだったのかも……。

先日、アメリカの作家

ハワード・パイル(1853-1911)による

ロビン・フッドの愉快な冒険」

を読んで久しぶりに

愉快・痛快・爽快な気分になりました!

 

 

 

ロビン・フッドといえば ────

その名前こそ非常に有名ですが

 

なにせ遠〜い外国(中世イングランド)の

しかも伝説上の人ですから

 

彼の物語の内容までを知る人は

実際の所、あまり多くはないのではないでしょうか。

 

「弓の達人」

「権力に屈しない義賊」

というイメージ的に

 

同じく中世に活躍したという

スイスの英雄ウィリアム・テルと被ってしまい

 

どっちがどっちだか

わかんなくなっちゃったりしますよね。(^^;)

 

 

ロビン・フッドの物語──ざっくりいうとこんな内容

 

自慢の腕を披露すべく、弓試合に向かおうとしている途中で

ひょんなことから人を殺めてしまい

天下のお尋ね者となってしまった若者ロビン・フッド(18歳)。

 

やむなくシャーウッドの森の中に隠れ住んでいるうちに

やがて彼は、そこを拠点とした

盗賊団の首領みたいな感じになって行きました。

 

彼をはじめ

彼のもとに集まった仲間達も

腕っぷしはベラボウに強いが

人情には篤いイイ奴ばかり!

 

 

大貴族や修道院長が

庶民からお金や土地を奪ったら

それをすぐさま奪い返してあげる。

 

貧しい人々が困っていたら

お金や食べ物を恵んであげる。

 

強きをくじき

弱きを助ける

 

そんな彼らは、たちどころに

近隣住民たちのヒーロー的な存在となっていきました。

 

陽気で愉快で

ちょっとオッチョコチョイな所もある

ロビン・フッドとその仲間達。

(ノッポのリトル・ジョンや剽軽なタック修道僧、美男子ウィル・スカーレットなどなどの面々)

 

彼らは

「何か楽しい事しようぜ〜!」と言いながら

 

意地の悪い陰険な

ノッティンガムの長官(打倒ロビンに燃える男)を

おちょくり倒したり

 

欲深くて腹黒い

エメット修道院(ロビンを目の敵にしている男)に

一泡吹かせたりして

 

面白おかしくも

スリルあふれる毎日を送っているのでありました───

 

 

 

14世紀の後半ごろからイングランドで語り伝えられてきたという

義賊ロビン・フッドの伝説 ───

 

ロビン・フッドの研究者として知られている

J.C.ホウルト(1922-2014)

そのモデルとなった人物として

 

13世紀初め頃の裁判記録に記されていた

ロバート・フットという人物なのではないか

と、目しています。

 

しかしながら、その説も

現在の所、確たる証拠はなく

 

ロビン・フッドは架空の人物なのではないか?

はたまた

妖精や植物の神なのではないか?

などという意見もあったりして

 

その実在性は、いまのところ

に包まれているそうです。

 

 

長い年月の間に、様々なバリエーションで語られてきたロビンフッドの伝説。

 

その個別のエピソードを

アメリカの挿絵画家ハワード・パイル

1883年(明治16年)

 

楽しい一続きの物語として

きちんとつじつまが合うようにまとめあげたのが

 

本書ロビン・フッドの愉快な冒険」になります。

 

 

子供たちのために

愉快冒険

というところに重点を置いてまとめあげられたものですので

 

わくわくするような面白エピソードが満載!

 

────その反面

 

子供受けの悪そうな

恋人マリアンとの恋愛エピソードなどは

バッサリカットされております。(^^;)

 

 

ロビンが、腕っぷしの強いメンバーを

一人一人仲間に加えてゆく過程としては

 

散歩途中のロビン(喧嘩好き)と

相手(喧嘩好き)とがバッタリ出くわし

 

双方の意地の張り合いから

棒っきれを打ち合う勝負になって

 

お互いの余りの強さに

双方一目置き合う仲となる────

 

───というパターンが多いのですが

 

 

私はここに、なんとなく

中国の水滸伝(北宋末期、お尋ね者たち108人のアウトロー梁山泊という自然要塞に大集結し、悪徳役人を打倒し国を救おうとする話)と通じるものを感じました。

 

他に行く所のないお尋ね者たちが続々と集まってくる

シャーウッドの森

そして「水滸伝」の

梁山泊

 

洋の東西は違えども

なんか、共通するものありますよね……。(^^;)

 

 

盗賊だとか山賊とかの事を指す

「緑林の徒」

という言葉があります。

 

まるで

森に住んでグリーンをシンボルカラーにしている

ロビン・フッドのイメージそのものなんですけど

 

この「緑林」というのも

 

中国、前漢時代の末期

王莽(おうもう)が建国した王朝の失政に反乱を起こした

民間武装勢力緑林軍が語源になっているんですよ。

 

(湖北省緑林山に立てこもった事から緑林軍といいます)

 

 

ロビン・フッドと仲間達は

 

日々、腕っぷしの強さを比べあうために

棒っきれを振り回してバトルし合ったり

殴り合いの試合をしたりして

 

そんな合間にも

 

エール(ビール)をがぶがぶ飲んで

チーズや肉をたらふく喰らって

 

なんか面白い事があったりすると

涙を流しながら

ギャハギャハ笑って暮らしています。

 

実に楽しそうで

うらやましくなってくるほど。

 

気心の知れた、性格の良い仲間達と

こんな風に毎日楽しく暮らせたら

きっと幸せでしょうね……

 

 

 

この先はネタバレになってしまうのですが ────

 

 

ロビン・フッドはやがて

リチャード王(獅子心王)に見出されて、そのお気に入りとなり

 

シャーウッドの森を離れ

ハンティングドン伯爵の地位を賜ることとなります。

 

何年もの間、リチャード王に従って国内外の数々の戦いに参加し、活躍するのですが

 

王が戦いに倒れた後

彼はふたたび

懐かしいシャーウッドの森に帰ってきます。

 

────しかし

 

リチャード王の次に王位を継いだジョン王(失地王と呼ばれた愚王)は

勝手に森に戻ってしまったロビン・フッドを許しませんでした。

 

王は怒り狂い

森に追っ手を差し向けてきたのです。

 

 

以前の、陽気で素朴で気のいい兄ちゃんのままのロビンだったら

 

こんな時にも臨機応変

飄々と王の怒りをかわすことが出来たんでしょうが

 

いったん獅子心王のおそばに仕え

伯爵の称号まで得てしまった彼は

 

ガチバトルで応ずる以外

もうプライドが許さなくなっていました……。

 

その結果

戦いで、多くの仲間が死んでいきました……。

 

やがて、ロビンは病に倒れ

修道院で悲しい最期を遂げることになります……。

 

 

「リトル・ジョンよ、わが友よ、どうかこの矢が落ちた所に、俺の墓を作ってくれ……」病床のロビンはそう言って、修道院の窓の外へ向かって矢を放つのです。

 

 

昔話などではよく

主人公が最終的に金持ちになったり偉くなったりして

「めでたしめでたし」

で終わったりしますけど

 

それが本当に

「めでたし」だったかどうかなんて

 

その後を見てみないと、わかりませんよねえ……。

(牛若丸とか……)

 

ロビン・フッドにとっては

獅子心王に見出される以前の、まだ若い時代

 

気の良い仲間達と、森でわちゃわちゃ過ごしていた時

一番幸せだったんじゃないでしょうか……。

 

きっと、彼自身もそう感じたからこそ

再び森へと帰って来たんだと思います。

 

そんなことを思うと

 

この本のほとんどを占めている

愉快で楽しいエピソードの数々も

 

二度とは戻ることの出来ない若き日の輝き

 

って感じがして

 

なんだかちょっと

切ないような気分になってきますね……。

 

 

 

 

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